はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 3部 その2

第7章「高校生時代(16歳)後半」

1年生の夏休みはほぼ毎日が部活だったため、俺の朝はいつも憂鬱だった。朝起きて電車に乗って道場に入り、どこかでやらかして怒られて帰る。過労とストレスで死ぬんじゃないかと考えていた毎日だったが、悪いことばかりでは無かった。それは8月某日、高校生活初めての三者面談だった。前回述べたが担任が顧問を務めていたため、どーせ部活のことでウダウダ言われるんだろうなと思っていたが、意外にも先生は俺の事を結構褒めてくれた。

「勉強については問題なし、部活もまぁ頑張ってるしこれなら大学も目指せるよ」なんて言ってくれたのは普通に嬉しかったのだが、俺の目標は大学に行くことでは無かったので俺は思い切ってバンダイに入社したいことを伝えた。

どうやらバンダイに入社するためには運動部であることが最も重要視されるらしい。たとえ頭が良くても気が利いた人物であっても運動部でない者にはそもそも挑戦する権利すら与えられないそうだ。先生は過去数年間に何人かの生徒をバンダイへ送っているようで、その中には弓道部もいたとのことだった。

俺はこの時初めて弓道部に入ってよかったと思った。同時にたとえ何を言われようとも部活だけは続けていこうとも思った。

この一件があったことで俺は部活にも多少身が入るようになった。不思議なことに、それに合わせて俺の技術も着々と進歩していくようになっていき、先生に怒られることも少なくなった。

夏休みを終え、2学期が始まった。この頃あった大きなイベントといえば文化祭だ。とはいっても俺たち1年生の役目は階段装飾のみで、当日に何かをするわけでは無いが俺は友人たちと率先して作業に取り組んだ。

クラスのA澤君がやたら絵が上手かったので、俺たちクラスは他より抜きんでたものを作ろうと画策した。そうなると当然時間もかかるのでちょくちょく部活も休むようになった。

多くの仲間たちが協力してくれたお陰で作業は順調に進んだ。多分、この頃が高校生活で一番楽しかった時だと思う。フォルダ内に当時の写真があったので貼らせてもらう。

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部活を休んだ分は放課後の自主練で補っていた。部活となると例の副顧問がいるので行くのは億劫だったが、自主練となれば先輩たちしかいないので弓道そのものを純粋に楽しみたかった俺にとってはうってつけの練習だった。俺の他にも部活を休んでいた仲間や先輩は結構いたので道場内は多少賑わっていた。

俺は時間いっぱいまで残っていることが多かったので、先輩たちと色々話すことも多かった。それまで一切といっていいほど関わりの無かった先輩たちだが、俺の渾身のモノマネ「頑張るビィ!!」がウケたのか、翌日からしつこいくらいに話しかけてくれるようになった。

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詳しくは知らないし知りたくも無かったが、この年は先輩たちの間で内ゲバがあったようで、弓道部の毎年恒例行事だった合宿はやらなかった。確かやらなかった分どこかの道場を借りて強化練習をするとかなんとか言っていたが、俺はそんなことより「干物妹!うまるちゃん展」の方が大事だったので兄貴の新居探しをイイワケに1人東京へ旅立っていった。当然皆にこのことは言っていない。ゴメンね。

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ちなみに3月、似たような理由で大会も休ませて貰った。お土産とか買ってきたので皆も許してくれた。

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1年生については多分こんなところだ。まだ将来の夢を諦めていなかった俺は期待を胸に2年生へと進級するのであった。

第8章「高校生時代(17歳)前半」へ続く