第8章「高校生時代(17歳)Aパート」
カギ校、というか工業高校は基本的に進級してもクラス替えを行うことは無い。なぜなら各クラスは学科で分けられているため、受けている授業もそれぞれ変わってくるからだ。しかし13HR、14HR、そして俺たち15HRは「Ⅱ類」という1つの学科で統一されていたためその3クラスのみはクラス替えがあった。
2年生になると先述した3クラスは「ロボット工学科(F科)」「電子工学科(D科)」「情報システム科(J科)」と名前が変わる。俺は迷わずF科を選択した。これにはいくつか理由がある。
1つは卒業したアニペンがJ科だったことに関係する。俺がどこに行こうか考えていた頃、アニペンは俺に「どーせお前のことだから何も考えず俺の学科を選ぶんだろ」と小馬鹿にしてきた。頭にきた俺はこの時絶対にJ科だけは選ばないと決意したのだった。
もう1つはロボット工学科そのものがエリートという印象が強かったからだ。実際、3学科の中では例年頭が良いやつが多い傾向にある。そこに入れば進路において何かと都合がいいだろうと俺は考えていた。
というわけでロボット工学科を選んだ俺だが、クラスの雰囲気は今1つという感じだった。いわゆる陰キャが多かった当時のF科はそれまでの15HRと比べ盛り上がりに欠けていたような気がした。
最初にそれを実感したのは5月にある「ホームルームデー」だ。なんだかダッサイ名前だが要はただの遠足だ。この年俺たちのクラスは鎌倉へ行った。行先が完全に担任任せなのに対し、鎌倉になったことは当たりだと思うかもしれない。俺も鎌倉へ行くことは初めてだったのでワクワクしていた。ただ、班は壊滅的といっていいほど酷かった。
班員は自由に決めてよかったので、俺は最初に15HRで仲の良かったK心君を呼んだ。これは良かったのだが、問題なのはK心君についてきた連中だ。そいつらは感情が無いといっても過言ではない奴らで、どこに行きたいか、何をしたいかなど班長の俺に一切言ってこなかった。結局、その日の行動は全て俺任せとなってしまった。
プライバシーの関係で顔は見せられないが、この時の表情はマジで作り笑い感が凄いものとなっている。
その後すぐに体育祭があったのだが、感情が無いのはその他の奴らも同様だったようで応援席にいたF科は常に沈黙状態であった。ただやっぱりそこはF科というか全学科の中でも勉強面に関しては出来る奴が多かった。この時期あたりから学校生活<部活に俺の心情は変化するようになった。
そして8月、この時の三者面談で俺の将来設計が大きく狂わされたのである。
担任は超現実主義な人物で、夢溢れたクラスの連中を片っ端からぶった切っていた。その被害は俺にも及び、俺が1通り将来の夢を述べたところでこう言われた。「夢ばっかり語っていてもしょうがないでしょ」あまりにも直球だったその言葉にママペンも言葉を失っていた。
バンダイに行きたいことは止めないが、それ以外に何もないのか?という問いに俺は何も言い返せなくなった。他に就きたい企業は本当になかったし、正直工業自体に嫌気がさし始めていた俺はこの時初めて進学というものを意識するようになった。
話は少しそれるが、工業高校には当然工業実習なる授業が存在する。週1回2時間のその授業は好きな人にとっては楽しいのだろうが、俺にとっては地獄の時間だった。はっきり言って楽しくなかったのである。この授業を通して分かったことは”俺は工業に向いていない”ということだけだ。
高校生時代(17歳)Bパートへ続く