はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 3部 その11

第9章「高校生時代(18歳)Eパート」

水産学科のAO課題は「適当な生物を1つ選んでそれを800字程度で調査せよ」というものだった。海洋生物学科と内容に関してはほぼ同じなのだが、あっちは字数が2000字近くある。一見簡単そうに見える課題だが、調べる生物についてネットからの引用はNGで実際に自分が見て分かったことを自身の言葉で纏める必要があるので意外と大変なのだ。

俺は最初、大好きな深海魚を調べようと思っていた。だがそういった特殊な生物は生きたままの姿を見る機会がなかなか無いので諦めざるを得なかった。

悩んだあげく、俺はある考えに至った。自分で実際に魚を飼い、それを調査するのはどうだろうか?思い立ったが吉日、俺は近くにある魚の専門店を徹底的に調調べあげた。いくつかの店を回った結果、調査対象は「カクレクマノミ」に決定した。そこそこ名の知れた魚なら調べるうえで何かと都合がいいだろうし、何より1匹あたりの値段が980円と安かったのだ。水槽やフィルターなど予想以上に金がかかったが、これで課題が順調に進むのなら安いものだ。

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今も元気だぞ。

夏休み、部活はとっくに引退したものの、俺は補講と課題の進捗状況を伝えるためほぼ毎日学校へ通っていた。志望理由はそれなりの評価を貰ったが、調査の方はなかなか思うように進まなかった。魚のプロとかであればエサの実験とか反応とかでサクサク進められるのだろうが、素人がそんなものをやったところで上手くまとめられるハズが無いしそもそも俺はカクレクマノミに関して何一つ知識を持っていないのだ。その後何度も失敗を繰り返したが、夏休み終わり際になんとか調査書の完成まで辿り着く事ができた。改めて今見るとあまりのクソさに呆れてくるので何を調べたかは言わないでおく。大したものでは無いのは確かだが。

そして9月の終わりごろ、AOの結果が帰ってきた。結果は不合格だ。今の俺ならばあんな調査書など落ちて当然だとはっきり理解できるのだが、当時の俺は何が悪かったのか全く分からなかった。親もS先生も残念そうな顔をしていた。

俺はK洋学部以外に志望校を考えていなかった。K洋学部が特殊な学科ゆえ、選択肢が非常に狭まっていたのもあるが、単純に俺自身がそこしか行きたくなかったのが大きな理由だ。そしてAOが落ちた今、残された道は推薦入試しか無くなってしまったのである。

推薦入試の内容は当日の小論文800字と面接のみだ。AOより難易度は遥かに楽なので俺は最初からこっちを目指していたところもあった。だがAO落選のダメージは思っている以上に俺の自信を奪い、内定ゲットで浮かれたクラスの雰囲気も相まってこれまた思うように勉強が進まなかった。

時間はどんどん過ぎていき、入試1か月ほど前に迫った頃、俺は久々にS先生に課題の進捗状況を聞かれた。「順調です!」と答えたかった俺だが、この時素直に「上手くいってないです」と言ってしまった。先生は軽く注意したその後に、放課後毎日面接練習に付き合ってやると言ってくれた。小論文の方はクラスの副担任兼国語担当のT先生に指導してもらうよう連絡を入れた。

生物担当のS先生は3年の学年主任も担当している。この時期の学年主任がいかに忙しいものかは言うまでもないだろう。それでも先生は時間を見つけてはほぼ毎日俺の面接練習に付き合ってくれた。オマケに生物科目で分からない部分も徹底的に指導してくれたのだった。多分、全カギ校進学者の中で俺が一番多く面接練習をしただろう。本当にそう思っている。

11月、ついにその日はやってきた。面接の内容はバッチリだ。小論文は少し不安はあるが、まぁ大丈夫だろう。試験時刻より少し早くきた俺は席についてその時を待つのだった。

そして試験が始まった。最初は小論文だ。俺はこの日のために全世界の自然科学のニュースを読み上げ、日本の環境問題、はたまたSDGsまで網羅してきた。努力の成果を見せてやろうと裏返しの答案用紙を開いたその時、俺は固まった。

「女性の社会参加について」...全く分からないぞ。ペンが止まってしまった俺。だがここで止まってしまっては全てがオシャカだ。とにかく800字は書ききる、それしか考えなかった俺は思い付く限りのテキトーなことを紙に書いていくのだった。

1時間はあっという間に過ぎた。800字は何とか書ききれたがその出来は自分でも笑ってしまうものだった。放心状態の俺はそのまま面接の待機場所へ向かっていった。

俺は比較的早めに呼ばれた。面接官は2人、男と女だ。先ほどの放心状態から一変、緊張で俺は固まってしまった。

名前と番号、そして出身校を述べた後、最初に聞かれた質問はこうだった。「キミ、工業高校出身らしいけどどうしてウチにきたの?」予想通りの質問だ。S先生の前なら自信たっぷりに答えられた質問なのだが、頭が真っ白だった俺はまるでSiriのようにおかしな喋り方で話してしまうのだった。

15分ほどで面接は終わった。聞かれた内容はどれも基本的なものだったが、上手く喋れなかった俺は後悔の念に囚われながら合格発表を待っていた。その時の俺の中では合格発表というより不合格発表の方が感覚的に近かったと思う。

11月28日。この日は俺の(不)合格発表の日だ。判定は11時半に公式ホームページに記載される。3時間目を抜け出した俺は担任のいる実習室へ1人向かっていった。

11時半、静寂な部屋に先生のクリック音が響き渡った。結果は...「エラーです」その場にいた俺、担任、副担任はズッコケた。時計が少しズレていたようでその時刻は11時29分だった。…改めて11時半、クリックしたその先に表示されたのは「合格です」の一文だった。こうして俺は「T海大学 K洋学部」に合格したのだった。

第9章「高校生時代(18歳)Fパート」へ続く