はろの毎日

日々の成長

はろペン 武勇激闘録

最初に言っておくが、俺は機械音痴だ。

「いやお前工業学んでただろ」とツッコミが入るかもしれないが、苦手なものは苦手なのだ。3年間学んではっきりした。友人の前ではカッコつけてHDDが~SSDが~とあたかも通のように話していたのだが、実際はそんなもの自分でも良くわかっていない。なんのこっちゃだ。

オマケに手先も不器用なものだから電気工事の資格も2年連続で落ちている。ここまできたらもう向いていないんじゃないかとも思う。

そんな俺が今日、スマホの機種変更をした。4年間使い続けてきたエクスペリアがなんとなく使いづらくなってきたので、新年度に入ることを期に新しくしようと思ったのだ。

店の方には事前に説明しておいたこともあって、中に入るや否やどれにするか求められた。店内にはギャラクシーやらアクオスやらずらーっと並んでいる。各種細かな違いがあるようなのだが、俺にはどれも同じように見えた。店員には恥ずかしい姿を見せたくなかったので容量がああだのこうだの話したが、正直どれでも良かった。

(以前相談に乗ってくれたA澤くん、ありがとうございました)

あれこれ物色すること数分、俺は以前から使い続けてきたエクスペリアの新モデル「Xperia 5Ⅱ」に決めた。なんとなく目に入った「5G」に惹かれたのが大きな理由だ。縦長のデザインが若干気に入らないが、別に誰かに見せるわけでもないしまぁ良いだろう。余談だが、俺は「5G」がなんなのかよくわかっていない。分かっているのは「3G」がモンハンの「トライジー」とは関係ないことくらいだ。「これにします」と言おうと思った矢先、それまで一切相談にも乗ってくれなかった父が突然「それは高いからやめて」と言ってきた。

確かに値段は高かった。10万近くかかり、素人が持つスマホにしては手に余るものだっただろう。だが俺の機種変などどうでもいいように言っていた父が今になって口を挟んでくるのはなんだか気に入らなかった。結局、俺は新型の1つ前のモデル「Xperia 10Ⅱ」にしたのだった。...しかしなんで「5Ⅱ」の1つ前が「10Ⅱ」なのだろうか...スマホは奥が深い。

機種が決まれば次は手続きだ。綺麗で優しそうなお姉さんがいたので、俺はその人に教えてもらいたかったのだが、残念ながら俺が当たった店員は柳原可奈子似の少しぽっちゃりした女性だった。「チェンジ!!」と言いたかったがここはそういうお店ではない。

可奈子は言っていることこそしっかり聞こえるが肝心の内容が良く分からない。俺はとりあえず適当にハイハイ頷いていた。とにかく署名が多いのが面倒だった。

データの移行を事前に聞かれたのだが、それくらいなら自分でもできそうだったので断っておいた。だが向こうも俺が機械音痴なのは見て分かったようで、「本当に大丈夫ですかぁ~?(CV 柳原可奈子)」と念を押すように聞いてきた。根負けした俺は仕方なく向こうに任せることにした。強がっていてもボロはでるものなんだね。

しかし俺が本当に恥をかくのはここからだった。データ移行のため俺のスマホを渡したのだが、可奈子は俺の画面を見て苦笑していた。

俺のGoogleアカウント名は「はろペンくん」。しかもプロフィール画面がとってもシュールなドンペンくんの画像だ。初見で笑うなという方こそ無理がある。しかも俺のGoogleアカウントはその他にプリチャン用のアカウントがある。「どちらを移行されますかww」可奈子は明らかに俺を小馬鹿にしている。俺は冷静に「はろペンくん」の方を指さした。

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そこからは向こうも色々忙しいようで、俺は待つよう言われた。40分ほどかかったが、偶然テレビで「クレヨンしんちゃん」がやっていたため、さほど退屈はしなかった。

合間合間によくわからん誓約書が来たが俺はこれまたテキトーにサインした。中身なんて呼んだところで分かったもんじゃないし、なによりしんちゃんがいいところだったので読む暇も無かったのだ。

そういうワケでやっと俺の手元にエクスペリアがやってきた。俺は可奈子の顔を見たくなかったのでさっさと帰ることにした。他の店員も笑っているように見えたのは気のせいだろうか。

コイツの性能が良いのか悪いのか正直分からないのだが、まぁ何とかなるだろう。なにより俺は「ガールフレンド(仮)」と「デレステ」と夏に配信予定の「アイドルランドプリパラ」が出来ればそれでいいのだから。

 

 

はろペン自伝 最終回

第9章「高校生時代(18歳)Gパート」

1~2週間かけて何とか卒業文集は出来上がった。合間合間にクラスメイトに救援を頼んだのだが、来てくれたのは4人ほどしかいなかった。しかもその日1日限りの参戦だったため、結局のところ作業の9割は俺がやるハメになってしまったのだ。卒業文集というのは元来クラスメイト皆で楽しみながら作るのが基本だろう。しかしF科の場合は全く逆だ。俺が全て編集し、製本した。これのどこが楽しいのだろうか。皆に配った時、俺の苦労など何一つ知らないクズ共が盛り上がっているのを見て俺は金でも徴収してやろうかと思った。

そしてちょうどこの時期、新型コロナウイルスがニュースで取り上げられるようになった。まだ静岡に感染者は出ていなかったものの、何かあったらマズいので卒業式は各クラス毎指定された場所で行われるようになった。今年はどうなのだろうか?

F科が指定された場所は体育館だ。本来ならば卒業生とその保護者でいっぱいだったはずの体育館も俺たち(とその保護者)しかいないとなれば寂しいものだ。だがその分、式は予定より早く終わったのでそこは良い点だなと思った。

式が終わった後は担任が別れの言葉を読み上げ、最後の挨拶をして終了だ。特に友人たちに言い残すことは無かったので俺は挨拶終了後、すぐにクラスを抜けた。このあと弓道部で顧問にお別れを言わなくてはいけないのだ。T賀とS藤がやけに来るのが遅かったのでクラスで何かあったのかと思ったのだが、なんとクラス全体の集合写真を撮ってたらしい。当然そこに俺はいない。クソめ。余談だが、俺が卒業式後の集合写真で省かれたのはこれで二度目だ。中学の時も同じことがあった。

顧問に挨拶を済ませた俺たちはすぐ帰宅した。他の連中は食事とかしてたらしいけど俺はそういうものには一切参加しなかった。コロナ対策だね。…こうして俺の輝かしい高校生活は幕を閉じたのだった。来月からはいよいよ大学生となる。

エピローグ

新型コロナウイルスの感染が確認されてからもう1年近くが経った。この1年、俺たちの生活は大きく変化したと思う。大学生活なんてものも、この1年振り返ってみれば本当にあっけなかったものだ。実際に大学へ行った回数なんて手で数えられるほどしかない。これから一体どうなってしまうのだろうか。

俺は現在、近所にあるスーパーの肉コーナーでバイトをしている。オンライン授業は1月末に終わり、今は春休み真っ最中だ。高校時代に比べ、金回りは遥かに良くなったので本当なら一人旅とか良いかななんて思っていたのだがそういうわけにもいかない。本当に不便な世の中になってしまったと思う。

この後、大学生活について書こうと思っていたのだが、この1年間本当に大したことはしていないので書かないことにする。もしかしたら気分次第でまた書くかもしれないが…

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

おしまい

はろペン自伝 3部 その12

第9章「高校生時代(18歳)Fパート」

紆余曲折あったものの、俺はなんとか大学に合格することが出来た。”バンダイに入る”という大きな夢を捨ててしまったことは残念だったが、どっちにせよこの年バンダイからの求人は来ていなかったので考えてもしょうがないことだ。俺はそれまで禁止していたプリチャンを久しぶりに(2週間ぶりに)打ち込むのだった。

入試を終えれば後はグダグダ学校生活を送ればいいものだと俺は思っていたのだが、現実はそうはいかなかった。学校側の決まりで進学者は全員1月に実施されるセンター試験に強制的に参加しなくてはいけないのだ。クラスの馬鹿真面目な進学者一同はそれに向けて放課後補講、参考書などで各自勉強に励んでいた。俺も最初は補講に参加していたのだが、合格したのにセンターを受けるなぞ馬鹿らしいと次第に思い始め、サボるようになった。

センター試験というと一見重要なイベントのように聞こえるのだが、実際は進学者が大学を選ぶ際、自身のレベルを確認するためのいち判断材料に過ぎないものだ。まぁ、こんなことを言えるのは俺が推薦入試で受かったからなのだが...とにかく受かった人間にとってそれは全くと言っていいほど価値の無いものなのだ。第一志望とか事前に書く欄があるのだが、俺は適当に「東京大学 理科Ⅲ類」とか書いた気がする。

センター試験は県大で行われた。県内各地の高校から多くの学生が訪れるため、雰囲気だけはいっちょ前にあった。俺の学生番号は2355Aだ。どこかの教育番組を彷彿とさせる番号だったので今でもよく覚えている。

とまぁやる気だけは一段とあった俺だが、勉強に関してはこれっぽちもやっていない、完全に舐めプだ。そのおかげで問題は何一つ分からなかった。

2日間に渡るセンターを終え、数週間後に結果が帰ってきた。大敗を喫した俺だったが、当然ながらそんなものには目もくれなかった。なぜならもう春休みが近づいていたからだ。

3年生の春休みは長い。2月頭~4月の2ヶ月間、俺はどう過ごそうかウハウハで考えていたのだが、ここにきて最悪の事態に巻き込まれるのだった。

事の発端は先生のある提案だった。F科の思い出作りとして「卒業文集」を作ろうという話が挙がったのだ。それ自体は何の問題も無い。個人的に良い考えだと思っていた。副委員の俺はこのプロジェクトの主体となり、何を載せるか事前に考えてこいと言われた。先生は「思い出に残るものなら何でも良い」と言っていたので俺は思いつく限りのアイデアを用意したのだが例によってチョー現実主義の先生はいちいち「それ面白い?」とか「それ必要ないよね」とか口を挟むのでこの時はマジで殺したくなった。

イデアを出せば叩かれる、周りに協力を要請すれば誰一人手を挙げない。こんな非情なことってあるだろうか。碌に進歩せず、結局俺は春休みほぼ毎日学校へ呼び出されるのだった。酷いときには朝から晩まで学校に残っていた。きっと同じ科の後輩は「なんでアイツまだ学校にいるんだろう」とか考えていたに違いない。時折作業をサボって学校のパソコンでやっていた「プーさんのホームランダービー」が救いだった。

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当時の写真

最終回へ続く

 

はろペン自伝 3部 その11

第9章「高校生時代(18歳)Eパート」

水産学科のAO課題は「適当な生物を1つ選んでそれを800字程度で調査せよ」というものだった。海洋生物学科と内容に関してはほぼ同じなのだが、あっちは字数が2000字近くある。一見簡単そうに見える課題だが、調べる生物についてネットからの引用はNGで実際に自分が見て分かったことを自身の言葉で纏める必要があるので意外と大変なのだ。

俺は最初、大好きな深海魚を調べようと思っていた。だがそういった特殊な生物は生きたままの姿を見る機会がなかなか無いので諦めざるを得なかった。

悩んだあげく、俺はある考えに至った。自分で実際に魚を飼い、それを調査するのはどうだろうか?思い立ったが吉日、俺は近くにある魚の専門店を徹底的に調調べあげた。いくつかの店を回った結果、調査対象は「カクレクマノミ」に決定した。そこそこ名の知れた魚なら調べるうえで何かと都合がいいだろうし、何より1匹あたりの値段が980円と安かったのだ。水槽やフィルターなど予想以上に金がかかったが、これで課題が順調に進むのなら安いものだ。

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今も元気だぞ。

夏休み、部活はとっくに引退したものの、俺は補講と課題の進捗状況を伝えるためほぼ毎日学校へ通っていた。志望理由はそれなりの評価を貰ったが、調査の方はなかなか思うように進まなかった。魚のプロとかであればエサの実験とか反応とかでサクサク進められるのだろうが、素人がそんなものをやったところで上手くまとめられるハズが無いしそもそも俺はカクレクマノミに関して何一つ知識を持っていないのだ。その後何度も失敗を繰り返したが、夏休み終わり際になんとか調査書の完成まで辿り着く事ができた。改めて今見るとあまりのクソさに呆れてくるので何を調べたかは言わないでおく。大したものでは無いのは確かだが。

そして9月の終わりごろ、AOの結果が帰ってきた。結果は不合格だ。今の俺ならばあんな調査書など落ちて当然だとはっきり理解できるのだが、当時の俺は何が悪かったのか全く分からなかった。親もS先生も残念そうな顔をしていた。

俺はK洋学部以外に志望校を考えていなかった。K洋学部が特殊な学科ゆえ、選択肢が非常に狭まっていたのもあるが、単純に俺自身がそこしか行きたくなかったのが大きな理由だ。そしてAOが落ちた今、残された道は推薦入試しか無くなってしまったのである。

推薦入試の内容は当日の小論文800字と面接のみだ。AOより難易度は遥かに楽なので俺は最初からこっちを目指していたところもあった。だがAO落選のダメージは思っている以上に俺の自信を奪い、内定ゲットで浮かれたクラスの雰囲気も相まってこれまた思うように勉強が進まなかった。

時間はどんどん過ぎていき、入試1か月ほど前に迫った頃、俺は久々にS先生に課題の進捗状況を聞かれた。「順調です!」と答えたかった俺だが、この時素直に「上手くいってないです」と言ってしまった。先生は軽く注意したその後に、放課後毎日面接練習に付き合ってやると言ってくれた。小論文の方はクラスの副担任兼国語担当のT先生に指導してもらうよう連絡を入れた。

生物担当のS先生は3年の学年主任も担当している。この時期の学年主任がいかに忙しいものかは言うまでもないだろう。それでも先生は時間を見つけてはほぼ毎日俺の面接練習に付き合ってくれた。オマケに生物科目で分からない部分も徹底的に指導してくれたのだった。多分、全カギ校進学者の中で俺が一番多く面接練習をしただろう。本当にそう思っている。

11月、ついにその日はやってきた。面接の内容はバッチリだ。小論文は少し不安はあるが、まぁ大丈夫だろう。試験時刻より少し早くきた俺は席についてその時を待つのだった。

そして試験が始まった。最初は小論文だ。俺はこの日のために全世界の自然科学のニュースを読み上げ、日本の環境問題、はたまたSDGsまで網羅してきた。努力の成果を見せてやろうと裏返しの答案用紙を開いたその時、俺は固まった。

「女性の社会参加について」...全く分からないぞ。ペンが止まってしまった俺。だがここで止まってしまっては全てがオシャカだ。とにかく800字は書ききる、それしか考えなかった俺は思い付く限りのテキトーなことを紙に書いていくのだった。

1時間はあっという間に過ぎた。800字は何とか書ききれたがその出来は自分でも笑ってしまうものだった。放心状態の俺はそのまま面接の待機場所へ向かっていった。

俺は比較的早めに呼ばれた。面接官は2人、男と女だ。先ほどの放心状態から一変、緊張で俺は固まってしまった。

名前と番号、そして出身校を述べた後、最初に聞かれた質問はこうだった。「キミ、工業高校出身らしいけどどうしてウチにきたの?」予想通りの質問だ。S先生の前なら自信たっぷりに答えられた質問なのだが、頭が真っ白だった俺はまるでSiriのようにおかしな喋り方で話してしまうのだった。

15分ほどで面接は終わった。聞かれた内容はどれも基本的なものだったが、上手く喋れなかった俺は後悔の念に囚われながら合格発表を待っていた。その時の俺の中では合格発表というより不合格発表の方が感覚的に近かったと思う。

11月28日。この日は俺の(不)合格発表の日だ。判定は11時半に公式ホームページに記載される。3時間目を抜け出した俺は担任のいる実習室へ1人向かっていった。

11時半、静寂な部屋に先生のクリック音が響き渡った。結果は...「エラーです」その場にいた俺、担任、副担任はズッコケた。時計が少しズレていたようでその時刻は11時29分だった。…改めて11時半、クリックしたその先に表示されたのは「合格です」の一文だった。こうして俺は「T海大学 K洋学部」に合格したのだった。

第9章「高校生時代(18歳)Fパート」へ続く

 

はろペン自伝 3部 その10

第9章「高校生時代(18歳)Dパート」

さて、生物の授業に追われていた俺の高3生活とは一体どういったものだったかを今から説明しよう。

F科3年生、通称F3はクラス替えなど当然行うことも無く、特に真新しい出会いも無いまま3年生へと進級していった。カギ校では3年生になると全学科例外なく「課題研究」なるものに生徒たちが挑戦する。課題研究とは端的に話すと、自分がそれまで培ってきた工業の技術を発揮しつつ、1年間を通して1つの作品を仕上げるというものだ。仕上げるものは実物でもデータでも構わないが、F科の場合はその名前の通りロボットを制作する学生が多い。

そんなワケで俺たち班も何かしらのロボットを作ろうという話で纏まった。そこから話し合いの結果、「全自動茶道ロボット」を制作することが決まった。製作者は俺、K坂、そして修学旅行で一緒だったT田だ。

...結論から言わしてもらうと、「全自動茶道ロボット」は未完成のまま終わった。ここから先の話は誰にもしていないが、そもそも作動チェックすらしていないハリボテのままで終わったのだ。よくわからんマイコンも買ってきたが、完全に置物と化していた。

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さらに言うと発表会の時、あたかも作動しているような映像を流したが、あれはどこかのサイトから拾ってきたものだ。バレると思ったがT田の功名な話術でなんとか隠すことに成功した。

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工業生がそんなんでいいのかよ?と思うかもしれないが、その時の俺は生物一筋だったので課題研究なんてものはもうどうでも良かった。

そして3年目の文化祭、F3は念願だった模擬店の設営が決まった。高校最後の文化祭でもあるので本来なら成果どうこうよりやりたいことを第一に考えるのが大事だと思ったのだが、チョー現実的な先生+ノリの悪い一部クラスメイトがあーだこーだ言ったせいで出し物はファンタとシュークリームというワケの分からない組み合わせとなってしまった。色々面白そうな案も出ていたのだが、決まってその後に「売り上げが~」とか「発注が~」とか担任が口を挟むのでその時は本当に頭にきた。

ちなみにF3は模擬店の他に課題研究の展示もあったのだが、先述した通り俺たちの班は未完成のハリボテだったため適当なイイワケをつけてそれっぽく仕上げた。

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秋頃になるとほとんどの就職者が内定を貰ってくるので、クラスの雰囲気は進学者を差し置きもう卒業ムードで盛り上がっていた。生物に追われていた自分にとってその空気は本当にストレスでしかなかった。進学者も進学者で全く面白くないヤツしかおらず、俺は朝から晩までイライラしながら毎日を過ごしていた。そんな精神的疲弊が激しかった俺を救済してくれたのが「プリパラ」だった。

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「プリパラ」それは前々回紹介したアニメ「キラッとプリ☆チャン」の前作にあたるアニメ及びアーケードゲームの事である。なんとなくで見たそのアニメに俺は感銘を受けた。

個性あふれる登場人物が織りなす奇想天外なストーリーに加え、明るく元気いっぱいな楽曲に俺は毎日勇気を貰っていた。恐らく努力・友情・勝利がここまで似合うアニメはこれ以外に存在しないだろう。溜まっていたストレスもあっという間に抜けていった。

ほぼ同時期にDCDも再稼働していたので、放課後は必ずと言っていいほどマークイズか東急スクエアに俺は向かっていた。学校帰りにプリパラをやる、というよりはプリパラついでに学校へ行くという感じだっただろう。もちろん勉強も怠っていないぞ。

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第9章「高校生時代(18歳)Eパート」へ続く

はろペン自伝 3部 その9

第9章「高校生時代(18歳)Cパート」

3年生になった。クラスの皆(主に進学者)は第一志望に向け、各自参考書を買ったり過去問を解いたりと各々勉強する姿が見られるようになった。俺も勿論そうなのだが、独学というのは思っている以上にキツイのだ。Amazonで生物の教科書を買ったは良いものの、400ページもある教科書の中で何をどのように勉強すればいいのか俺は全く分からなかった。

しかしカギ校は俺に一つのチャンスを与えてくれた。放課後補講の開催だ。それは主に理系科目全般を生徒の進路状況に合わせて放課後特別に指導してくれるというもので、その中には生物も含まれていた。俺は迷わず「生物」の欄に〇を付けたのだった。

そんなワケで補講を控えたある日、俺は突然生物担当のS先生に呼ばれた。この日の内容をザックリ話すと、生物の補講というものは授業を選択した者に対する補講であるため、俺のような物理選択者に合わせるものではないということだ。しかも、なぜ俺が補講を選択したのか、その経緯を後日教えてほしいとも言ってきた。

俺はこの時酷く不安になってしまった。理由なんて「K洋学部に行きたいからです」しかない。こんな身も蓋もない理由を聞いて納得しろという方が可笑しいだろう。俺はその”後日”が来ない事を願ったのだが時は無情にも流れていくのだった。

そしてその日は来てしまった。もうどうしようもなかった俺は腹を括って全て話すのだった。事を話して少し考え込んでいた先生はただ一言「分かった」と捨て台詞のような言葉を吐いた。一応補講を受ける許可と授業内容のコピー用紙は貰ったのだが、俺はもう何も考えられなくなった。

補講ははっきり言って楽だった。そりゃあ受けていない授業の重要事項とその補足をただノートに書き写すだけなんだから楽で当然だろう。オマケに先生の言っていることなど何一つ分からないときた、これはもう補講の意味など無いだろう。つまらない授業が終わって帰ろうとした矢先、俺はS先生に名指しで呼ばれた。

恐る恐る先生の前に行く俺だったが、先生はK洋学部に行きたい俺のために教科書の中から最低限覚えておくこと、そして関心を持つべきニュースなど事細かに指導してくれたのだった。最初こそ緊張していた俺だったが、気付けば時間を忘れてそこから様々な話をするようになった。

色々調べていくうちに分かったことは、俺が目指していた「海洋生物学科」はAO推薦の内容がかなり専門的で、そこに挑む連中はよほどの魚オタクでしかないということだ。俺は改めてその難易度の高さに呆然としていたが、そこで先生はある提案をしてくれた。

(海洋生物学科の課題内容は、適当に決めた生物1つを自分なりに調査しろというものだったが、調査のやり方が専門家や水族館の学芸員に直接インタビューするなどコミュ障の人間にはハードすぎる内容なのだ。しかも、生半可な調査では絶対に弾かれるらしい。)

9つある学科の中に「水産学科」というものがある。そこは「食品専攻」と「生物生産学専攻」の2つで構成されており、先生は「生物生産学専攻」を目指すのはどうかと言ってくれた。「生物生産学専攻」とはこれまた名前の通り海洋生物の繁殖、養殖を基本とした学科なのだが扱う分野が広く、その他に深海生物や川魚の分類調査、資源学なども学ぶことが出来る学科だ。そもそもの話、俺は深海生物が好きなので海洋生物学科よりそっちの方がうってつけだったのだ。課題の難易度もそこまで高くないこともあって俺はそっちを目標にすることにした。

第9章「高校生時代(18歳)Dパート」へ続く

はろペン自伝 3部 その8

第9章「高校生時代(18歳)Bパート」

俺は焦っていた。2年生の夏休みから進学に進路を変更したものの、そこから半年間、俺は自分の行きたい大学はおろか何をしたいかすらまだ決めていない状態だったのだ。もうすぐ3年生になろうというのにこのままではマズい。かといってやりたいことが全く思い浮かばなかった俺は日に日に焦燥感に追われるのであった。

工業生であれば工業の大学に行くのが道理というやつだ。事実、俺以外の進学者は全員「~工科大学」や「~工業大学」と名のつく大学へ目標を定めていた。しかし、俺は出来ればもう二度と工業には関わりたくなかったのでそういった大学には一切目を向けないようにしていた。福祉、経済、宗教...工業以外の道を見つけようとしたもののどれもいまいちピンとこないものばかりだ。半ば諦めかけていた俺はこの時偶然「T海大学 K洋学部」のオープンキャンパス情報を知ったのだった。

「T海大学 K洋学部」は静岡県内にあり、日本でも数少ない海について研究する学科だ。そのため、県内でもかなりの知名度を持っている。そんな大学のオープンキャンパスが3月に行われるというのだ。ヤケクソ気味だった俺は何も考えずそこへ行ってみることにした。一応ママペンにだけはこのことを伝えておいた。

そして当日、やはり知名度が高いだけあって多くの学生が見られた。オープンキャンパスというよりはちょっとした学園祭のような感じで、親御さんの姿もちらほらあった。校舎はボロッちいものの、雰囲気はまずまずといったところだろうか。俺はとりあえず9つある学科がそれぞれどういった研究をしているのか聴いてみようと思った。

様々な学科説明を聴くなかで俺は「海洋生物学科」というものに興味を持った。そこは名前の通りイルカやクジラなどの海洋生物を調査する学科だ。恐らく「K洋学部」と聞けばほとんどの人が真っ先に思い浮かぶ学科だろう。そのためか例年全学科の中でも倍率がずば抜けて高いらしい。

このオープンキャンパスを通して俺は初めて自分自身の将来像が浮かび上がった。妥協して工業大学に行くよりイチかバチかでこの道を選択するのもアリなのではないか?帰ってきた俺は早速両親にそのことを報告するのであった。

ママペンは「はろペンがやりたいと思ったことなら止めないよ」と一言。一方パパペンはというとなんだか険しい表情をしていた。それもそのはず、それまで工業を勉強していた息子が突然海洋について学びたいと言い出せばそうなるのも当然だろう。ただそこで根負けしてしまえば全てがパーになってしまうので俺はそれまで自分が考えていたこと、自分の将来についてなどを余すことなく全て話した。

結果両親の承諾は得た。あとはそれに向かって勉強するのみ...なのだがここで俺は大きな失態に気づいた。K洋学部のAO、推薦入試における試験科目の中に「生物」が含まれていたのだ。3年の授業は各自進路にバラつきがあるため、それに合わせて事前に受けたい授業を選択するのだが、その時の俺は生物なぞ選んではいなかった。今更変更なんて出来るはずもなく、俺は独学で勉強せざるを得ない状況に陥ってしまったのだった。

第9章「高校生時代(18歳)Cパート」へ続く