はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 2部 その3

第6章「中学生時代(15歳)前半」

2016年、長いようで短かった中学生活はついにあと1年となってしまった。この年受験を控えた俺は勉強により一層力を入れるのだった。

当然勉強に力を入れているのは俺1人ではなく、クラスメイト全員が受験合格という1つの道に向けてコツコツと努力をしていたので、全体の雰囲気としては最&高であった。これには当時の担任も大きく関係している。

俺たちの担任は定年間近の小太りな先生だった。ヘビースモーカーであったため、当時のヤニ臭さは今でもはっきり覚えている。最初、その先生に当たったことが決まった時俺は絶望した。ほとんどの先生が以前から親交があったのに、よりによって全く知らない中年ジジイに当たってしまったのだからそりゃあショックだろう。クラスの皆もその時は唖然としていた。

その先生は毎年のように3年生を担当していた人物らしい。おまけに廃部の危機に瀕した女子卓球部の顧問なんていうのだから俺たちが知らないのも当然だ。ただその頃の俺は気づいていなかったのだが、”毎年3年生を担当していた”ということは言わば受験において学校側から絶大的に信頼されているということである。とりあえず怒られたくなかった俺は何事にも積極的に取り組むようになった。

部活はどうだったかというと、1年次のわだかまりもすっかり消え去り、俺たちは1つのチームとして数々の強敵と対戦していった。ただ1つ残念だったのが当時の2年生に市から認められるほどの強いやつがちらほらいたため、俺がスタメンの座から外れてしまったことだ。それでも俺の高身長という持ち味はブレなかったので身長が同じくらいあるK君と交代交代でセンターの役割を全うしていた。

正直、センターとしての技術はK君の方があったため、俺はあくまでその代理として扱われることが多かった。K君はその力をフルに発揮し、あちこちの中学でその名を轟かせていた。だがある日、K君の影役者であった俺に絶好の機会が回ってきたのだった。

K君が熱で休んでいたその日、俺たちは菊川の中学と試合をした。西部地区とは初めての対戦だ。先述した通りK君は休んでいたため、俺はこの試合フルで出ることになった。俺は最初からかっ飛ばし、時に相手のシュートを妨害し、時に相手を威圧する、そんな変態的なプレイを終始続けていた。

結果は言わずもがな快勝で、この時「東のK君、西の鈴木」と自称した言われるようになった。そんなこんなで俺たちのチームは順調に歩を進め、ついに中体連へ辿り着いた。

初日を勝利で終え、2日目の榛原中学を倒した俺たちが当たった相手は焼津中学だった。県内でも強力なチームで、以前戦った時は惨敗した。リベンジの意を込めて俺たちは勝負したのだが、あと一歩というところで俺たちは敗北してしまった。同時に俺たちの引退もその時決定したのだった。

引退については少し悲しい思いもあったが、それでも悔いはなかったので後輩に特に言い残すことは無かった。

しかしここで俺の3年生生活は終わらない。むしろここからが本番なのである。俺はさらに気を引き締めて勉強に臨むのであった。

中学生時代(15歳)後半へ続く