はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 2部 その4

第6章「中学生時代(15歳)後半」

中学生になってから新しく趣味が増えるということは特に無かった。小6の頃にiPod touchを与えられてから3年間、俺はほぼ毎日ソシャゲに打ち込んでいたのだった。当時は「モンスト」「パズドラ」「スクフェス」など流行ったソシャゲは1通りやっていたが、今現在まで続いているものは「ガールフレンド(仮)」のみである。中3は受験シーズンということもあって、以前よりゲームに時間を使うことは少なくなっていた。それほど俺は勉強に力を入れていたのだ。

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ガールフレンド(仮)のヒロイン、椎名心美(しいな ここみ)ちゃんが毎日俺の支えとなってくれていた。

中3になって俺は新しい勉強方法を見出した。それは「朝勉」である。言葉の通り、朝早くに起きて勉強をすることだ。先輩にそれがいいとアドバイスを聞いた俺は毎朝4時に起きて6時まで勉強をすることにした。効果は覿面で、テストの成績は日に日に良くなっていった。

そんなガリ勉だった俺のことを先生は「有能な暇人」と呼んでいた。蔑称に思うかもしれないが、これは”暇を見つけては何かやれることがないか探し出す人物”という意味での敬称だ。クラスメイトの何人かはそう呼ばれていたが、俺はその中でも特に褒められていた。褒められれば当然それ以上のことをしたくなるのが俺の性格なので、良い意味で俺は毎日が忙しかった。

そして受験間近となった12月、ついに修学旅行の日を迎えた。俺たちは2泊3日で京都と奈良へ向かった。正直お寺とか神社にはあまり興味は無かったのでここが良かったとかは特に無いが、男女共に仲の良い班だったこともあり、楽しい3日間を過ごすことが出来た。既に自伝3の方で書いたが、一緒に泊まったのは何の因果かまたK君だった。

俺は去年から塾に通っていた。県内でもかなり知名度の高い塾で、難関高校に多くの生徒を排出していることから信頼度も高かった。当時の俺は塾というものを毛嫌いしていたが、これまた効果は覿面でいつの間にか俺は県内屈指の難関高校も目指せるレベルになっていた。

この時の俺は大体のことが上手くいっていたと思う。よく「諦めなければ夢は叶う」という戯言をアニメや漫画で目にするが、本気でその言葉を信じるくらいには毎日が充実していた。俺は小学生の頃からの夢である「バンダイに入社する」ことももしかしたら可能なのではないかと思っていた。

そして受験当日。多少の不安はあったものの、準備万端の姿勢で学校へ向かった。第一志望は県内でも名高い工業高校「カギ高」だ。散々頑張っておいて工業高校かよ?と思うかもしれないが、その高校はなんと俺が目指しているバンダイホビーセンターの隣にある。それ故バンダイに入社した卒業生も近年何人かいたらしい。ちなみに滑り止めで受けたのは隣町にある「M高校」だが、そっちはどうでも良かった。

1年間の頑張りの甲斐もあって受験には合格した。そのことを真っ先に先生に伝えると先生は「受かることは分かり切っていたが、お前は考えすぎなトコロがあるからメンタル面が心配だった」と笑いながら言ってくれた。

ありがとう先生。その言葉を忘れず俺は大きな夢を持ちながら「カギ高」へ向かうのだった。

これがあんな悲劇を迎えるとはこの頃の俺は思ってもいなかった。

第3部へ続く