はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 3部 その6

第8章「高校生時代(17歳)Dパート」

最初は上手くいかなかった部活動も1年近くやっていればそこそこ上達はするもので、いつの間にか俺は道場へ行くことも苦ではなくなっていた。ただ、例の副顧問だけはどうしても慣れることが来なかった。

1年生の3月、もうすぐ2年生になろうとした頃、弓道部にビッグニュースが舞い込んできた。”副顧問の転勤”本来ならば悲しむべきニュースなのだろうが、俺は心のどこかでガッツポーズを挙げてしまった。恐らくほとんどの部員もそうだっただろう。そんなワケで、2年生からは新しい副顧問がやってくることになった。

新しい副顧問はなんというか「無」な人物だった。その先生は坊主頭に眼鏡という昭和チックな見た目から一部で「日本兵」なんてあだ名が付けられていた。まぁ、考案者は俺なんだが...担当はJ科かつ新1年生の担任だったので俺と関わることはほとんどなかった。弓道に関しては素人らしく、以前の副顧問と違ってツベコベ口出しはしてこなかったので俺は安心した。

2年生になるということは当然1年生が新たに入ってくるということで、この年からついに俺は先輩の立場となった。むさ苦しい道場に華が欲しかった俺たちは女子を積極的に勧誘したのだが、結果として入ってくれた女子はわずか2人だけだった。それでもいてくれるだけありがたいというもので、下心丸出しの一部先輩方は気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

一方男子はというとなんと俺たちより遥かに多い20数人が入部してきた。中にはチャラそうな奴もいたので中学時代の経験から舐められないか俺は少し不安だった。

先輩たちはその後すぐに引退し、新体制となった弓道部。後輩の指導に日夜励む俺たちはいつの間にか夏休みを迎えていた。

去年まで地獄だった夏休みは意外となんてことなく、俺は改めて自分の成長を実感した。アイツ(副顧問)の有無でこうも部活のモチベーションが変わるもんかとも思った。先生は総体があったようでなかなか練習には来れず、俺たちが主導になる日も少なくはなかった。ちなみに部長は同じF科のT賀だ。最初はやたら先輩に媚を売るヤツという印象が強かったため、とにかく苦手だった。ソイツが部長に任命されたことを知った時はどうせ先輩たちの忖度があったんだろうと思っていたほどだ。いや、”今でも思っている”の方が正しいか。

2年生で同じクラスとなり、出席番号も俺の後ろだったT賀は何かと関わることが多く、実習やらクラス活動を通して俺はソイツのことを少しだけ認めるようになった。なによりT賀はBAKA頭はあまり良くなかったので、そっち方面でマウントを取れたことが俺が認めた大きな要因だろう。

そこからどうってことのない毎日を送ることで、俺は学校生活より部活動の方が楽しいと思うようになった。去年まで正反対だったのにネ。副顧問がいなくなったのもそうだが、一番の原因は学校生活がクソになったことが考えられる。前回も述べたが陰キャだらけで言いたいことも素直に言えないF科生活より、馬鹿をやっていられる部活動の方が非常にやり易かったのだ。俺がそれを実感したのは年があけてすぐにあった合宿だ。

去年合宿が無かったことは3部7章後半で触れたので割愛する。俺たちにとっても後輩たちにとっても初めてだった合宿は練習時間こそ長かったものの、今振り返ってみればそこまで悪いものでは無かったのかもしれない。はっきり言えるのは、修学旅行よりは遥かに楽しかったということだ。俺の会話量も合宿の方が圧倒的に多かった。特に入浴時、色々あって一丸となっていた当時の弓道部は先輩後輩分け隔てなく馬鹿な話で盛り上がっていた。

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フォルダに当時の写真があったので貼っておく。なぜこの瞬間を撮影したのかは覚えていない。

そんな感じで1年はあっという間に過ぎていった。2年生の生活はクソみたいな時もあったが、その分楽しいこともあったので点数をつけるならおよそ及第点といったところだろうか。

第9章「高校生時代(18歳)Aパート」へ続く