はろの毎日

日々の成長

はろペン 武勇激闘録 その2

高校を卒業して1年が経った。この1年はあっという間なような、長かったような複雑な感じだ。同級生や後輩は皆元気にしているだろうか?Twitterやインスタを見た感じ各自それなりに楽しくやっている感じはする。

さて、ここで俺の1年間を振り返ってみよう。

俺は去年、高校を卒業し「T海大学 K洋学部」に入学した。工業に専念していた高校時代とは打って変わり、海洋学の道を進み始めたのだ。こーいう話をすると決まって友人は「お前工業はいいのかよ?」とか「海洋学って(笑)」とか言ってくる。なぜ俺が海洋学の道を選んだのか?その答えはただ一つ、「なんとなく面白そうだった」からだ。詳しくは以前ブログに纏めた「はろペン自伝」シリーズをご覧ください。

で、晴れて大学1年生となった2020年4月、衝撃のニュースが俺のもとに届いた。

なんとその年の入学式は中止となり、授業は5月からスタートするとのことだ。まぁ緊急事態宣言が発令されるようじゃしょうがないよね。俺は不安と一抹の嬉しさを抱えながらおうち時間を過ごすのだった。ふと疑問に思ったのだが、「講義」と「授業」、「教授」と「先生」の違いってなんだろうか。使い方を間違っていたら嫌なので両方とも後者の言葉を使うことにする。

そして5月、授業は始まった。といっても授業はその全てが遠隔なのであまり何かを学んでいるという実感は無かった。基本的な座学は遠隔でも特に問題は無いのだが、一番困ったのは実験の授業だ。本来なら専用の道具を使ったりして皆でワイワイ話しながらやるのだろうが、家にいるようじゃそうはいかない。先生方もこれは異例の事態だったようで、困惑しながら出した結論は「とりあえず教科書のイラストをスケッチして、描いたやつを写真に収めて送ってこい」というものだった。実験っつーか美術の授業をやっている感じだった。当然面白くは無い。

K洋学部は理系の大学で、ハイスペックな実習や企画がウリだったのだが(学費がやばいぞ)コロナ過でそれら全てがおじゃんとなった。そんで学費は”全額”持っていくんだから親の大学に対するヘイトは高まるばかりだ。

個人的に一番イラついた授業は「体育」だ。正式な科目名はクソ長かったので忘れた。まぁ高校時代の体育と思ってくれて構わない。

本来なら海洋学の大学らしく、サーフィンとかダイビングとかのマリンスポーツをやったのだが、大学にすらいけないんだからそんな授業なと当然やれるはずもなく、約60分、先生がただただそのスポーツを堪能しているだけの動画を見せられた。それだけで単位が貰えるのなら素晴らしいのだが、厄介なのは残りの時間、その動画を見て分かったことを感想として纏めろというものだった。そんなもんあるワケないだろ。

そんなくだらない授業を半年近くやり続け、季節は秋となった。後期からは実験と体育に限り、大学内で行われることとなった。遠隔授業がヒジョーにつまらなかったのでこの判断は嬉しいといえば嬉しいのだが、たかだか2時間ちょいの授業のために片道2時間の道のりを通っていくのは少し面倒だった。

最初に学内で行った授業は「生物学実験」だ。あのクソスケッチ授業だ。実験室内は見ず知らずの同級生ばかり。ちょいコミュ障の自覚があった俺は緊張と不安で胸がいっぱいだったが、それは皆同じだったようで(皆がコミュ障ということじゃないよ)一度打ち解けると色々話す仲にはなった。不安だったのは俺だけじゃなかったんだね。

いくつか予定されていた企画は全て中止になってしまったのだが、11月に唯一開催されたイベントがあった。

それこそ「乗船実習」だ。本来なら夏休みに1泊2日で開催されるイベントだったが出来なくなり、やらないのもそれはそれで...という趣旨のもと開かれたイベント...というか実習だ。肝心の内容はどんなものかというと、大学が管理している大型船に乗って半日、近くの海をクルージングするというものだ。急遽開催された実習なので内容という内容もなく、ただ数時間ポケ―っと遠くの海を眺めていた。一応同級生との交流会も兼ねていたのでいろんな人と話をした。女子も結構積極的に来てくれたので俺は「脈アリか!?」と不意に思ったのだが全員彼氏持ちとのことだった。ヴォエ!

後は特にどうってことない日々を送り、気が付けば年が明けていた。大学の授業というものは大概1月後半に完結してしまうのでそこから2ヶ月ちょいは全て春休みとなる。

コロナさえなければ友人たちと飲み会を開いたり、サークル仲間とどこかへ遊びに行ったんだろうか。外出自粛ムードが漂っていたこの1年、俺は飲み会に参加してないどころかお酒も一切飲んでいない。一応19歳なので飲まない方が正しいのだろうけど、社会に出た同級生らは皆飲んでいるっぽい。ちなみにサークルにも入っていないぞ。

先述した通り、大学に入って友人は何人か出来たのだが、まだ遊びに行くような関係までは出来上がっていないので春休み期間は殆ど連絡を取っていない。高校の同級生らもなんやかんやで忙しそうだし、まとまって遊びに行くことが出来るような世間体ではないのでこれまた殆ど連絡を取っていない。

結局俺はほぼ毎日、100円玉を財布に詰めながら近所のゲームコーナーへ向かうしか選択肢が無かったのだ。