はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 その4

第3章「小学生時代(10歳~11歳)前半」

俺が基本”小学生の思い出”として話題にするのはこの章、つまり小4~小6時代だ。俺自身の記憶力についてもあるが、それだけこの3年間はハチャメチャな時期だったといえる。

小4になった俺はというと、クラスの友人たちと絵を描いたり自作のトレカを作ったりして盛り上がっていた。絵とはいっても、芸術的な絵やアニメチックなイラストではなく、至極単純な、コロコロコミックに出てきそうな絵だ。クラスの皆も俺の絵を結構気に入ってくれていた。

4年生にもなると行動範囲が徐々に広くなっていくわけで、放課後は家から少し離れた「SL公園」で遊ぶようになった。そこは園内に「子ども館」という施設があったため、俺たちは雨の日でも公園に集まっていた。古ぼけた施設だったが、そこで働くおばちゃんたちが優しかったので個人的には好印象だった。

小4の生活を一言で表すなら、「平和」と俺は言うだろう。それほどこの1年間は周りの友人たちに恵まれていた。そう、この「1年間」は...

2012年。俺は5年生になった。周りの連中は少しやかましいのが多かったが、俺は特に気にせず去年同様新たな友人たちと絵を描いていた。意外かもしれないが、その友人の中には”女の子”もいた。どうだ、羨ましいだろう。

この年出来た友人はいわゆる悪友というヤツで、俺はそれまで持っていた「真面目」という自分の殻を破り捨て、学校中を走り回り、合同のエロ本を仲間内で書き、放課後に友人たちのみでアピタのゲームコーナーで遊ぶ日々を送っていた。当時、大人を連れずにアピタへ行くことは学校で禁止されていたため、最初は結構戸惑った覚えがある。今思えばどれもしょーもないことだが、当時の俺はそれで満足していた。ちなみに今あげた事件すべてに以前紹介したK君も関わっている。

6年間で一番馬鹿をやっていた時期でもある小5だが、楽しい日々ばかりでは無かった。

俺のクラスに1人、どうしても気に食わないやつがいたのだ。本当は本名を晒したいけど何かあったら嫌なので名前をHとしておく。

Hは3年だったか4年の時に転入してきたヤツで、同じクラスになって初めて会話をした。正確は荒っぽく、ドラえもんでいうところのジャイアンみたいな存在だった。外見はどちらかというとスネ夫に近かったが。他人を笑いものにし、時に暴力を振るうソイツは最初こそ皆からの支持を集めていたが、時が経つに連れ周りからの信頼も失せていった。当然の報いである。

5年生は全学年を通して最も行事の数が多い年だった。夏は朝霧高原で宿泊訓練、秋は陸上競技会、合唱コンクール、文化祭...もっとあったかな?

特に陸上競技会は俺が50m走の選抜走者として選ばれたためか今でも印象強く残っている。俺は足に自信があるワケでは無かったが、本来の走者であるN君が短距離はどうしても無理だということでなぜか俺が代理人として抜擢されてしまったのだ。その代わりというか、N君は長距離の方を走った。ルール上、短距離と長距離は同じ人物でないとダメだったような気がするが果たしてあれは良かったのだろうか。

ちなみにこの年は俺がアニメオタクとして目覚めた年でもある。そう、全ての始まりはあの日、ゲーセンのUFOキャッチャーで見かけた「すーぱーそに子」のポスターだった...

第3章「小学生時代(10歳~11歳)後半」へ続く。