はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 その3

第2章「小学生時代(7歳~9歳)後半」

2010年(小2~小3)は俺の趣味が次々開花していった年だった。まずなんといっても欠かせないのがこの年30周年を迎えた「機動戦士ガンダム」シリーズだ。ガンダムとはいっても当時俺が好きだったのは「SDガンダム 三国伝」で、ダブルオーとかSEEDには特に興味は無かった。秋葉原ヨドバシカメラで展示してあった完成品を見たのがキッカケである。

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SDガンダム 三国伝」とは、中国の物語「三国志」を舞台に、ガンダムと化した武将が戦いを繰り広げる活劇のことである。ここから三国志そのものにも俺はハマるようになった。無論、他のガンダム作品もこの後見るようになった。

これ以上のことは話すとキリがないのでまた別の機会に設けようと思う。

次に俺がハマったのは「神羅万象チョコ」だ。水泳教室の帰りに買ってもらったのがキッカケだった。「神羅万象チョコ」とは、ウエハースチョコとカードがセットになった100円菓子のことである。わかりやすく言えばビックリマンみたいなものだ。余談だが、当時俺はビックリマンも集めていた。

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神羅万象チョコ」は結構マイナーなお菓子だが、学校で集めている人が割といたことには驚きだった。その中でも自分はキラカードの所持率が高かったため、よく友達に自慢したものだ。

最後に、俺は「遊戯王」にも熱中していた。これに関してはもっと前からやっていたような気がする。親戚、アニペンが主な対戦相手だった、というかそれしか周りにやっている人はいなかった。ルールとかは良くわかっていなかったため、(今でも分からないが...)なんとなくノリと勢いでやっていたのだ。アニメは「遊戯王5D's」から見始めたが、静岡の放送局では中盤で打ち切りになってしまったため、長年後半部分を見ることが出来なかった。

小3になると友達もさらに増えた。今いる友人たちは恐らくこの頃に出会ったものがほとんどだろう。当時の俺はオフザケ真っ盛りで、プールが終わった後、パンツ一丁でフランキーのモノマネをしたことがあった。担任の先生が笑っていたのはよく覚えている。

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そういえばこの頃、平日夕方5時半からワンピースの再放送がやっていた。俺はママペンの影響でそれ以前からアニメは見ていたが、周りはこの再放送からワンピースを知ったようだった。登場人物のモノマネをしている児童をあちこちで見た記憶がある。

話は重くなるが、この年に俺の祖父が亡くなった。パパペンのパパペンだ。俺は葬式というものに初めて参加したため、目の前で亡くなった祖父を見た時「もしかしたら起きてるんじゃねぇかなー」なんて考えていた。パパペンや親戚のおじさんは泣いていたが、「死」というものが良くわからなかった俺は特に泣くことはなかった。

しかし、一番衝撃的だったのは葬式の際、参列者の中に俺の理科の先生がいたことだった。血縁者ではないが、ちょっとした知り合いだったらしい。

年が明けて2011年。この年を代表する出来事といえば忘れもしない「東日本大震災」だ。地震が起きた瞬間、3年2組はちょうど帰りのHRをやっていた。静岡は震源地からだいぶ離れていたせいか、大きく揺れた感じはしなかった。まぁ県民からしてみれば、地震なんてそこまで珍しいものでもないので特に気にすることは無く、俺は日課の「しまじろうのヘソカ!」を見るために急いで帰宅した。当然だが家に帰るとしまじろうなんてやっていなかった。ショックだった。

第3章「小学生時代(10歳~11歳)前半」へ続く