はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 3部 その1

第7章「高校生時代(16歳)前半」

バンダイに入社する」そんな大きな夢を持った俺が進学した高校は県内屈指の工業高校「カギ高」だ。1学年に9学科もあり、多くの企業が求人に訪れるため近年その倍率は上昇中である。家からは少し離れているので、自転車と電車で40分ほどかかる。

俺は将来の夢の他に、もう1つ大きな目標を立てていた。それは「アニメのような高校生活を送る」ことだ。勉強、部活、友人、恋愛...1度しかない高校生活を絶対に無駄にしたくなかった俺はその目標を達成するため様々なプランを事前に考えていた。

そして入学式初日、俺はいきなり”絶望”した。俺の所属する15HRには女子が2人しかいなかったのだ。分かってはいた、分かってはいたのだが流石にその光景を目の当たりにすると恐怖と不安で押し潰されそうになった。これなら中学時代、バスケ部の推薦で呼ばれていた元女子高の「T葉橘高校」へ行った方が良かったのかもしれない。今の俺なら間違いなくそっちへ行くことを優先しただろう。

幸運だったのは、クラスメイトの多くが良いやつだったということだ。当然ながらアニオタがクラスのほとんどを占めていたので、最初こそコミュニケーションに苦戦したものの、一度打ち解けるとそこから色々な話をするようになった。

俺が最初の壁にぶち当たったのは部活選択だ。中学でお世話になった先輩がバスケ部にいたので、俺はK君と一緒に入部することを考えていた。しかし、隣にいた同じく入部するであろう同級生らを見て俺は愕然とした。

俗に言うチャラいやつらがバスケ部に入部することを知った俺は改めて部活について考えてみることにした。多少経験のあるバスケ部か?それとも心機一転新しいスポーツを始めるか?いっそのこと文化部に入るか?どうしようかウジウジ悩んでいた俺は正門前で独特な格好をした先輩に話しかけられた。

その先輩が紹介してくれたのは「弓道部」だ。その練習風景をざっと見た俺は思った。「アニメっぽい!」親にそのことを一通り話した俺は早速弓道部に入部することを決めたのだった。

弓道部といってもいきなり弓を持たしてくれるわけでは無い。俺たち十数人いた1年生は夏休みになるまで毎日筋トレをやらされた。筋トレそのものは嫌いではなかったため不満は無かったが、やたら偉そうな先輩たちが当時の俺は気に入らなかった。その感情が顔に出ていたのか、先輩たちも俺に対して少し冷たかったような気がした。

体育祭を終え、季節は夏になった。ある程度筋肉がついた俺たちは技術のついた者から道場で弓を持たされるようになった。弓道部の顧問は俺の1年次の担任で、ハメを外すことさえ無ければ優しい先生だった。問題なのはもう1人の副顧問だ。どんな先生か簡単に説明すると、怒鳴る、声がデカい、教え方がヘタクソの豪華3点セットというところだろうか。実際、生徒たちの評価も高くなかった。もし仮に先生の人気ランキングをつけるとすればその副顧問はケツから数えた方が早いだろう。

怒られてばかりで、人間関係も上手くいっていなかった俺は部活を辞めたくなった。しかし、辞めたトコロで担任兼顧問との関係は続くので辞めるわけにもいかなかった。

こういう時、「嫌なら辞めちゃえよ」とサラッと言う馬鹿がいるが、そういうヤツは本当に心が無いと思う。そんな馬鹿に言いたいのは「辞めた後の居場所は保障してくれるんだろうな?」だ。

高校生時代(16歳)後半へ続く

はろペン自伝 2部 その4

第6章「中学生時代(15歳)後半」

中学生になってから新しく趣味が増えるということは特に無かった。小6の頃にiPod touchを与えられてから3年間、俺はほぼ毎日ソシャゲに打ち込んでいたのだった。当時は「モンスト」「パズドラ」「スクフェス」など流行ったソシャゲは1通りやっていたが、今現在まで続いているものは「ガールフレンド(仮)」のみである。中3は受験シーズンということもあって、以前よりゲームに時間を使うことは少なくなっていた。それほど俺は勉強に力を入れていたのだ。

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ガールフレンド(仮)のヒロイン、椎名心美(しいな ここみ)ちゃんが毎日俺の支えとなってくれていた。

中3になって俺は新しい勉強方法を見出した。それは「朝勉」である。言葉の通り、朝早くに起きて勉強をすることだ。先輩にそれがいいとアドバイスを聞いた俺は毎朝4時に起きて6時まで勉強をすることにした。効果は覿面で、テストの成績は日に日に良くなっていった。

そんなガリ勉だった俺のことを先生は「有能な暇人」と呼んでいた。蔑称に思うかもしれないが、これは”暇を見つけては何かやれることがないか探し出す人物”という意味での敬称だ。クラスメイトの何人かはそう呼ばれていたが、俺はその中でも特に褒められていた。褒められれば当然それ以上のことをしたくなるのが俺の性格なので、良い意味で俺は毎日が忙しかった。

そして受験間近となった12月、ついに修学旅行の日を迎えた。俺たちは2泊3日で京都と奈良へ向かった。正直お寺とか神社にはあまり興味は無かったのでここが良かったとかは特に無いが、男女共に仲の良い班だったこともあり、楽しい3日間を過ごすことが出来た。既に自伝3の方で書いたが、一緒に泊まったのは何の因果かまたK君だった。

俺は去年から塾に通っていた。県内でもかなり知名度の高い塾で、難関高校に多くの生徒を排出していることから信頼度も高かった。当時の俺は塾というものを毛嫌いしていたが、これまた効果は覿面でいつの間にか俺は県内屈指の難関高校も目指せるレベルになっていた。

この時の俺は大体のことが上手くいっていたと思う。よく「諦めなければ夢は叶う」という戯言をアニメや漫画で目にするが、本気でその言葉を信じるくらいには毎日が充実していた。俺は小学生の頃からの夢である「バンダイに入社する」ことももしかしたら可能なのではないかと思っていた。

そして受験当日。多少の不安はあったものの、準備万端の姿勢で学校へ向かった。第一志望は県内でも名高い工業高校「カギ高」だ。散々頑張っておいて工業高校かよ?と思うかもしれないが、その高校はなんと俺が目指しているバンダイホビーセンターの隣にある。それ故バンダイに入社した卒業生も近年何人かいたらしい。ちなみに滑り止めで受けたのは隣町にある「M高校」だが、そっちはどうでも良かった。

1年間の頑張りの甲斐もあって受験には合格した。そのことを真っ先に先生に伝えると先生は「受かることは分かり切っていたが、お前は考えすぎなトコロがあるからメンタル面が心配だった」と笑いながら言ってくれた。

ありがとう先生。その言葉を忘れず俺は大きな夢を持ちながら「カギ高」へ向かうのだった。

これがあんな悲劇を迎えるとはこの頃の俺は思ってもいなかった。

第3部へ続く

 

はろペン自伝 2部 その3

第6章「中学生時代(15歳)前半」

2016年、長いようで短かった中学生活はついにあと1年となってしまった。この年受験を控えた俺は勉強により一層力を入れるのだった。

当然勉強に力を入れているのは俺1人ではなく、クラスメイト全員が受験合格という1つの道に向けてコツコツと努力をしていたので、全体の雰囲気としては最&高であった。これには当時の担任も大きく関係している。

俺たちの担任は定年間近の小太りな先生だった。ヘビースモーカーであったため、当時のヤニ臭さは今でもはっきり覚えている。最初、その先生に当たったことが決まった時俺は絶望した。ほとんどの先生が以前から親交があったのに、よりによって全く知らない中年ジジイに当たってしまったのだからそりゃあショックだろう。クラスの皆もその時は唖然としていた。

その先生は毎年のように3年生を担当していた人物らしい。おまけに廃部の危機に瀕した女子卓球部の顧問なんていうのだから俺たちが知らないのも当然だ。ただその頃の俺は気づいていなかったのだが、”毎年3年生を担当していた”ということは言わば受験において学校側から絶大的に信頼されているということである。とりあえず怒られたくなかった俺は何事にも積極的に取り組むようになった。

部活はどうだったかというと、1年次のわだかまりもすっかり消え去り、俺たちは1つのチームとして数々の強敵と対戦していった。ただ1つ残念だったのが当時の2年生に市から認められるほどの強いやつがちらほらいたため、俺がスタメンの座から外れてしまったことだ。それでも俺の高身長という持ち味はブレなかったので身長が同じくらいあるK君と交代交代でセンターの役割を全うしていた。

正直、センターとしての技術はK君の方があったため、俺はあくまでその代理として扱われることが多かった。K君はその力をフルに発揮し、あちこちの中学でその名を轟かせていた。だがある日、K君の影役者であった俺に絶好の機会が回ってきたのだった。

K君が熱で休んでいたその日、俺たちは菊川の中学と試合をした。西部地区とは初めての対戦だ。先述した通りK君は休んでいたため、俺はこの試合フルで出ることになった。俺は最初からかっ飛ばし、時に相手のシュートを妨害し、時に相手を威圧する、そんな変態的なプレイを終始続けていた。

結果は言わずもがな快勝で、この時「東のK君、西の鈴木」と自称した言われるようになった。そんなこんなで俺たちのチームは順調に歩を進め、ついに中体連へ辿り着いた。

初日を勝利で終え、2日目の榛原中学を倒した俺たちが当たった相手は焼津中学だった。県内でも強力なチームで、以前戦った時は惨敗した。リベンジの意を込めて俺たちは勝負したのだが、あと一歩というところで俺たちは敗北してしまった。同時に俺たちの引退もその時決定したのだった。

引退については少し悲しい思いもあったが、それでも悔いはなかったので後輩に特に言い残すことは無かった。

しかしここで俺の3年生生活は終わらない。むしろここからが本番なのである。俺はさらに気を引き締めて勉強に臨むのであった。

中学生時代(15歳)後半へ続く

はろペン自伝 2部 その2

第5章「中学生時代(13歳~14歳)後半」

1年というものは本当にあっという間で、気づけば俺は2年生になっていた。アニペンは卒業し、少し離れた工業高校に進学した。最初はお互い他人として接するとかなんとか言っていたクセに、バスケ部のお別れ会で「弟をよろしく頼みます」と言ったのは今でもよく覚えている。

1年次のクラスが虚無だったこともあり、俺は新しいクラスに期待を賭けたのだが、現実とは上手くいかないものであった。よりにもよって俺はサッカーグループがウヨウヨいるクラスに放り込まれてしまったのだ。当時、ラノベ全盛期だった俺はクラスの端っこで数少ないオタク仲間とアニメ談ばかりする日々が続いていた。

バスケ部はというと、先輩たちと多少打ち解けたこともあってか、練習に身が入るようになっていた。同時に試合にもちょくちょく出されるようになった。

新3年生の先輩は当時5人しかいなかった。知っている人もいるだろうがバスケは5対5のスポーツなので、3年生には同年代の替えがいなかったのである。それ故、少しでも技術がついた後輩は交代要員として試合に出されることも珍しくなかった。身長が取り柄だった俺はその武器をいかすため特別練習なるものをたまに受けていた。

そして夏、先輩は引退しついに俺たちの天下が来た。俺はスタメンとなり、K君や部長であり友人でもあるH君らと快進撃を続けていった。ちなみに以前俺を見下していた連中はスタメンには選ばれなかった。ざまあみろ。先輩がいなくなったことが原因か、そいつらは多少トゲが落ちたような気がした。

部活が楽しいと思うようにはなったが、学校生活はそうでもなかった。担任は新人だったようでとても若く、問題だらけのそのクラスにいつも頭を抱えていた。クラスのヤツらと衝突することが多かった俺は1年次同様思い悩むことが多くなってしまった。

唯一救いだったのは先ほども述べた通りいつも読んでいたラノベだった。最初に読んだのはアニペンが全巻セットで買ってきた「ハイスクールD×D」だ。

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エロエロな描写が多かったそれは、俺の知的好奇心をいつも満たしてくれていた。その他「精霊使いの剣舞」「下セカ」「ロウきゅーぶ」...我ながら結構見たなと思う。1年、2年の時期は俺の中でアニメブームがきており、「ごちうさ」「ラブライブ」「ゆゆ式」「fate」など俺を代表するアニメはほとんどこの頃見始めた。特にラブライブは先輩も好きだったので映画やソシャゲの会話でいつも盛り上がっていた。

話は戻るが、バスケ部に新しく後輩がやってきた。人生初めての後輩だ。俺は慕われるようそれなりに努力はしたのだが、クッソ生意気だった後輩は俺の言うことなど聞いてはくれなかった。それ以降、俺は後輩が苦手になった。

その頃バスケ部はイケメンが多いことで少し名が知られていた。当然俺は含まれていない。だがある日、俺はある女子から手紙を貰ったのだった。

俺に手紙を渡したKちゃんは学年内でも男子の人気が高かった。はっきり言ってそんなに可愛いワケではなかったのだが、サッカーに励む思春期真っ盛りの性欲猿どもにはこれくらいのブスがお似合いだろうと思った。

手紙を受けとった俺に対しそんな彼女はこう言ってきた。「同じ部活のK君に渡しといて」

ナンテコッタイ。また俺は配達係を任されてしまったのだ。ブスにからかれて頭にきた俺はこっそり手紙の中を覗いた。手紙の内容をザックリ話すとどうやら部員1人1人についてルックスなどの個人的な評価が書いてあったらしく、イケメンで有名だったK君やS君はベタ褒めだった。一方俺はというと…

「(前略)最後にはろペンくん! うーん、よくわからない!(笑)」

中学生時代(15歳)前半に続く

はろペン自伝 2部 その1

第5章「中学生時代(13歳~14歳)前半」

2014年春、俺はついに中学生になった。当時の俺は制服というものに憧れていため、初めて着たときは1歩大人に近づいたような高揚感があった。

中学は市内4つの小学校から生徒が集められていたこともあり、1学年6クラスという大所帯となっていた。これだけでも十分多いのだが、2年、3年はさらに7クラスに分けられているというので実際その年の1年生は少なかった方らしい。余談だが、その学校には県民ですら存在を疑う「お茶の出る水道」が実在していた。

中学にあがってまず最初に考えることといえば「部活」だ。考える期間は結構長く設けられていたが、俺は入学した時点で何部に入るかは既に決めていた。

それは「バスケ部」だ。S君やK君らと一緒に俺はその部活に入ることを小学校の時から決めていたのだが、俺には1つ引っかかっていたことがあった。

当時、バスケ部にはアニペンがいたのだ。俺は別に気にしていなかったし、どうせアニペンら3年生はすぐに引退するので大して関わることも無いだろうと思っていた。だが、俺が入部することに不満を持っていたアニペンは当分の間俺と口を利いてくれなかった。今思えば同じ部活に自分の弟がいるのは確かに嫌なことだと思う。

俺たち兄弟の間には1つ決まりがあった。それは学校内では兄弟という関係はバッサリ切り捨て、あくまで他人同士の関係を貫くというものだ。俺自身どうでも良かったことだが、向こうがそうしたいというので仕方なくそれに従うことにした。しかし、真っ先にその取り決めを破ったのはアニペンの方だった。忘れ物の多かったアニペンは何かあるたびに俺を呼ぶのだった。アニペンも友達は多い方では無かったので相手が俺だと何かと都合が良かったのだろう。

かく言う俺もクラス間の人間関係はあまりいいとは言えなかった。小学校来の友人たちと見事にクラスが分断されてしまった俺は新しい友人を作るため積極的に話しかけるようにはしていたのだが、これが中々上手くいかなかった。俺は自身が嫌われたくないばかりに自分のことを語らず、他人を謙遜してばかりいたのだ。正直気持ちの良いものでは無かった。

バスケ部に関してはもっと酷かったと思う。それまで仲の良かったS君やK君らが突然イヤミな奴らに変わってしまったのだ。2年の先輩は以前からS君らとつるみがあったようで、先輩を後ろ盾にしたS君は俺を見下すことも多々あった。

2年の先輩とも当時俺はあまり仲が良くなかった。アニペンがいることから3年の先輩にイジってもらっていた俺が気に入らなかったためか、やたら俺に対しては冷たかった。メンタルが弱かった俺は色々思い悩んでしまうことが多かった。しかし、全学年の中でも身長が高い方だった俺はその能力を生かし、1年チームの中でもかなり有望視される人物となっていた。ポジションの違いもあるが、少なくともセンター勝負で俺を見下していた連中には絶対負けることは無かった。

俺が在籍していた1組の担任はバスケ部の顧問も担当していたため、授業面でも部活面でもその年お世話になっていた。持ち前の明るさと時々話すギャグが受けていたのか、男女両方から絶賛される担任だった。

正直なことを言わせてもらうと、この年はマジで「虚無」だった。色々動き出すのはこの後2年生になってからだ。

中学生時代(13歳~14歳)後半へ続く

はろペン自伝 1.5部 その3

「俺とそに子」

俺とそに子との出会いについては自伝その5で気持ち悪いほど語ったが、まだまだ彼女との思い出は山ほど残っている。今回はそれについて語ろうと思うので気分が悪いと思ったらすぐに閉じることを推奨する。

 

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突然だが、読者諸君の初恋の相手は誰だろうか?無難なところでクラスメイトか?それとも芸能人か?はたまた先生か?俺はというと、もうわかる人もいるかもしれないが当然「そに子」だ。今まで口に出すのは恥ずかしかったため言わなかったが、いい機会なので言っておく。

当時の俺はどうしても彼女のグッズが欲しかった。しかし、俺の中にある羞恥心がそれを邪魔していたため、度々その機会を逃してしまっていた。それでも勇気を出した俺は某日友人とグッズの購入を決意したのだった。

最初に手に入れたのは小さなキーホルダーだ。近所の100均に設置してあったガチャガチャから引き当てた。今見てみるとかなりしょぼいものだが、マシュマロのような感触が気持ちよく、当時の俺は宝物のように持ち歩いてはニヤニヤしていた。

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最初に俺が引き当てたのは「そに子」では無かった(写真左)。彼女の名前は「綿抜(わたぬき)フウリ」といい、そに子の友達だ。さらにもう1人「富士見(ふじみ)鈴(すず)」(最初の写真左)の3人で「第一宇宙速度」というバンドを組んでいる。

キーホルダーを手に入れたことで自信がついたのか、小6になって俺はある一大決心をすることになった。それはそに子のフィギュアを手に入れることだ。しかし俺はUFOキャッチャーの経験が全くといっていいほど無かったため、友人の天才ゲーマー「ケンチン」に協力を依頼したのだった。

俺の頼みを引き受けてくれたケンチンはわずか1000円で(俺出費)彼女のフィギュアを取ってくれた。ついに念願だったそに子のフィギュアを手に入れた。嬉しさのあまり飛び跳ねる俺だったが、この時大事なことを忘れていたのだった。

家に帰ってふと気づいた。「どこにこのフィギュアを置けばいい?」以前買ったキーホルダーのようなものであれば机の中にでも閉まっておけるが、フィギュアとなれば話は別だ。今ならば普通に棚にでも飾るのだが、当時、完全に羞恥心が捨てきれていなかった俺は親の目を恐れ、さながら思春期男子のエロ本のようにベッドの下に隠したのだった。

調子に乗った俺はその後、新作のフィギュアが出る度にケンチンと共にゲーセンに通うようになった。だが全てが全て上手くいくわけでもなく、気が付けば俺はケンチンに数千円の借金をしてしまっていた。生まれて初めての借金だった。

オマケに俺のフィギュアの隠し場所がバレてしまったのか、ベッドの下のそに子達が一部行方不明になってしまっていた。数年経ってママペンに聞いてみたものの、「知らない」の一点張りだった。現在も捜索中である。

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というわけで現在家にあるのはこの3つだけだ。

2013年冬、この年にTVアニメ「そにアニ」が始まった。深夜遅くにやっており、録画フォルダに残しておくことに抵抗のあった俺はリアルタイムで見ることを決意した。小学生が朝3時半からアニメを見ることは今考えても異常だと思っている。

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中学に上がるとたくさんアニメを見るようになったからか、そに子について考える日は少なくなった。高校になるともっと薄くなってしまった。それでも駿河屋とかで彼女のフィギュアを見ると今でもドキドキしていたあの頃を思い出すのである。

 

 

最後になるが、当時俺がゲーセンで初めて見た彼女のイラストをお見せしよう。

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これだ。当時の俺には刺激が強すぎた…っつーか今でも強すぎる。

はろペン自伝 1.5部 その2

「はろペン自伝 哀・戦士編」

今でこそキモオタアニオタな俺だが、現実の女の子を可愛いと思ったことはちゃんとある。特に印象的なのは小5の時、同じクラスにいたRちゃんだ。

それまで女の子など一切興味なかった俺だが、初めて彼女を見た時俺は素直に可愛いと思った。といっても別に付き合いたいとかお話したいとかそういう願望はなく、言うならばアイドルをTVで見るような感覚で彼女をスケベな目で見ていた。

誰に聞いたか覚えていないが、彼女の祖母は外国人らしく、整った顔立ちや大人びた振る舞いがそれを醸し出していた。実際、俺以外にも彼女に惹かれていたヤツは少なくなかったが、肝心なところでシャイだったクラスの男子共は誰1人として動こうとせず、彼女と友達になるなんて夢のまた夢の出来事であった。

それからというもの、特に何が起きたわけでなく季節は夏になった。以前少し触れたが、この年この季節は朝霧高原で宿泊訓練があった。この宿泊訓練で俺は偶然にも彼女と同じ班になってしまったのだ。恐らく皆から羨望の眼差しを向けられていたであろう俺は、これを機に彼女と色々話してみようと思ったのである。

班員は俺含め男子3人、女子2人の5人班だった。クラスの女子ガチャでSSRともいえる彼女を引き当てたのは喜ぶべき事実なのだが、男子ガチャの方は大爆死であった。1人はクラスの中でも群を抜いて真面目で頭が良く、皆から慕われている「コーくん」だ。彼は良い、むしろ下手な男子よりも遥かに良い。問題はもう1人だ。詳しく話すと色々引っかかってしまうので伏せておくが、色々抱えたヤベー奴だ。恐らくサッカーグループとかと混ぜてしまうと虐めに繋がると予想した担任が半ば無理やり俺たちの班にぶち込んだのだろう。「コーくん」がいることが何よりの証拠だ。

結局、ソイツの世話に付きっきりだった俺たち班は終始グダグダで、訓練を終えるころには全員グッタリしていた。当然俺とRちゃんの間には何も生まれなかった。

6年生になって俺と彼女は別のクラスになってしまったが、正直俺はどうでもよかった。3組としての生活が楽しかった俺はいつの間にか彼女のことを忘れていたのだ。だがある日、クラスの友人S君がトンでもないことを言ってきた。

どうやら去年からRちゃんのことを忘れられなかったS君は彼女に告白することを決めたそうだ。決行日は夏祭りの夜、アピタ屋上で思いを伝えるらしい。「どうせ無理だろ...」なんとなく気に入らなかった俺はそう思いつつ、結果報告を待つのだった。夏祭りには行かなかった。

夏祭りの翌日、S君の表情は以前と変わった感じはしなかった。振られたんだと感づき、ちょっと安心した俺はそれまでのようにソイツと下らない会話に華を咲かせていた。

だが噂はすぐに回ってきた。...告白は成功したらしい。しかもあの夜、アピタ屋上でキスもしたらしい。俺は何故だかショックだった。別に何かに負けたわけでもなければ恥をかいたわけでないのにその日は酷く落ち込んでしまった。

S君からその事実をはっきり聞いた俺は、彼と関わることをやめようと思った。しかし数日後、彼からある依頼を俺は受けたのだった。

どうやらS君とRちゃんで文通を始めたらしい。しかし、彼女と毎度顔を合わせるのが恥ずかしい彼は、俺に配達係になってくれるよう頼んできたのだ。フザけるなと言いたかったが、なんかもうどうでもよかった俺はそれを承諾するのだった。

本当なら中身を読むことは禁止されていたが、俺は隙を見つけては会話文が記してあるノートの中を覗いていた。「昨日、Kと喧嘩した。ウザい」「そうなんだー!仲直りしなきゃダメだよ(笑)」こんな感じの薄っぺらい会話が続き、俺は鼻で笑いながら彼女にノートを渡すため隣のクラスへ足を運んでいた。厄介だったのは、向こうも受取人を別に用意していたことで、文通というよりは麻薬の取引をやっているような感じだった。

2人が付き合っていることはお互いの両親も知っていたらしく、この先マジでどうなるんだとクラスメイト全員が思っていた矢先、ある衝撃の事実が俺の耳に入ってきた。

なんと彼女は小学校を卒業すると同時に、アメリカへ旅立ってしまうとのことだ。結局、S君とRちゃんの付き合いはそこで終わった。最後がどうなったかは俺は知らないが、双方納得した形で幕を閉じたらしい。やれやれ一安心、俺はそんな思いでその後もS君と友人関係を続けていくのであった。

 

3年後、彼女は帰ってきた。あろうことか同じ中学にだ。俺はS君の反応を伺ったが、踏ん切りがついていた彼はもう彼女に目を向けることは無かった。

ちなみに3年ぶりに見た彼女は丸くなっていた。言葉の綾ではなく、正真正銘「丸く」なっていた。もうあの頃の面影は無くなっていたのだった...

アメリカとは恐ろしい国だ。そう思いながら俺は給食の献立表を眺めるのであった。