はろの毎日

日々の成長

はろペン自伝 第4部 その3

第3章 いざ沼津へ 

 沼津市に拠点を構えるS社は全国規模の企業では無いにしても、静岡県水産業を大きく支える企業のひとつである。沼津市においては水産業だけでなく、観光業に関しても一枚かんでいるため、沼津に遊びに行ったことがあるという人にとっては、ほぼ確実に何かしらの形でお世話になっているはずだ。

 沼津市は”海”と大きく結びついた地域であり、海産物やダイビングを求めて県内外から多数の観光客が訪れる。市内には水族館が3つもあり、魚好きにとってたまらない地域といっても過言では無いだろう。中でも今一番(俺の中で)激アツなのは…

 

そう、ラブライブ!サンシャイン!!」である。

 ラブライブサンシャインとは何か、その辺を話すとキリがないので今回は控えておくが、簡単に言えば沼津市を舞台に、女の子たちが歌って踊ってワイワイするアニメである。2016年のテレビアニメ放送開始から、このアニメをキッカケにアニメオタクたちの間で沼津市知名度が一気に広がり、やがて”聖地”として日本のみならず海外の観光客が訪れるまでになった。当然俺も数えきれないくらい来ており、観光地、ウマい飯屋などは大方把握している。

 

 話を戻すが8月31日、俺はS社のインターンでこの市に訪れた。水産業ということもあり、集合時刻はなんと朝6時。当然自宅からでは間に合わないため、沼津駅前のビジネスホテルで前泊するという形になった。

 自宅から沼津までやや距離はあるものの、1日遊んで帰るだけなら日帰りで十分事足りるため、今まで市内で1泊するということは一度も無かった。メインはもちろんインターンだが、俺はせっかくなので今まで味わったことの無い”夜の沼津”を堪能しようと計画していた。画像

 そんなワケで夕方5時ごろ沼津駅に到着。そこからまずホテルにチェックインし、荷物を降ろした後は近くのゲーマーズに冷やかしに行ったり商店街をぶらぶらしたり…と自由な時間を過ごした。ちなみに宿泊費、ホテルから本社までの移動費は全て向こうが負担してくれた。画像しかし流石沼津というべきか、アニメに全く関係ないビジネスホテルの内装までもがラブライブ仕様になっていた。俺としては嬉しい限りだが。  画像

 夕飯は某テレビ番組で紹介されて以降、行列のできる店として有名になったパスタ屋に行った。紹介されてからずっと行きたかった店だったため、今回行くことができてとても嬉しかった。休日お昼時は結構人が入ってるこのお店だが、その日は平日夕方ということもあってか、店内は俺ともう一人お客さんがいるだけだった。そのため番組内の賑やかな感じとは裏腹に、店内は凄く落ち着いた雰囲気となっていた。俺はとりあえず一番オーソドックスなパスタを食べた。味としてはまぁ普通のパスタって感じだった。

 その後は駅前や川沿いをふらふらして1日を終えた。川沿いから見る沼津市街の夜景はとても綺麗で、俺は飲み物片手に小一時間ぼーっとしていた。昼間見慣れた景色も夜になるとこうも違うのかと思った。

 今でこそ沼津はあらゆる方面での観光業に力を入れているが、かつては危ない人間の街として県民の間では名を轟かせていたこともある。その片鱗なのかは分からないが、夜の沼津駅前はちょっと怖そうな人間がちらほら見えた。

 グッズも買い、腹も膨れ、個人的には満々足な1日を過ごせたが、明日早朝にインターンがある事を忘れてはいけない。俺は寝坊しないよう、日付が変わる前に寝た。いよいよ明日は俺にとって初めてのインターンシップだ。

続く

はろペン自伝 第4部 その2

第2章 合同企業説明会

 2022年6月某日。俺はグランシップで開催される合同企業説明会に参加していた。会場内は多くの就活生と社員の方々で賑わっていた。真面目な就活生なら事前にどんな企業がやってくるのか調べておくのだが、俺は例によってそういったことには一切興味は無く、企業説明会の雰囲気を味わって見たかっただけなので、何も調べずに来た。当然手ぶらだ。

 ただ、私服で来てしまったのは正直やっちまったと思った。別にスーツを着ていない学生は俺だけでは無かったが、印象としてはよろしくなかっただろうなと今でも思っている。

 その日参加していた企業は静岡県内では有名なスーパーマーケットや地方銀行、ドラッグストアなどだった。大手では無いにしてもそれなりに安泰した企業ってところだろうか。ひとつ残念だったのは俺の専門分野である水産系の企業が全く来ていなかったことだった。まぁ水産を学んでいる学生なんて全体からすればUR級の存在なので仕方無いのかもしれない。

 流れとしては最初に全体説明があり、その後各自興味のある企業のブースへ移動。そこで30分説明を受けた後、別の企業のブースへまた移動。それを終了時刻まで繰り返し行い、満足いった人から自由退出…といった感じだった。以降も今回のような説明会に数回参加するのだが、基本的な流れはこれと同じである。

 全体説明終了後、行く当ても無かった俺はとりあえず地元でお世話になってる某大型ショッピングセンターのブースに行くことにした。深く考えず、ふらっと立ち寄ったこの企業だが、1年後、就職活動本番で深いつながりを持つということをこの時の俺はまだ知る由もなかった。

 その後はジャンルは問わず、とにかく自分の聞いたことのある企業を4件ほど回った。1つは社員の勧誘で入った土木関係の企業だったが、心の底から興味が無かったため、とても眠かった。

 全体の感想としては、”どの企業も自分が働いているビジョンが全く浮かばない”という感じだった。例えばドラッグストアは少子高齢化が進んでいく今後、間違いなく必要とされる存在であるため、今後の業績は上がっていくだろう。だが、果たして奨学金をもらって大学に入った人間の就職先がドラッグストアのレジ打ちや品出し担当で良いのだろうか。水族館の保険とはいえ、もっと格好のつく企業はあるはずではないだろうか。ほかの企業もだいたい同じような考えが浮かんだ。どの企業も決まって最後にインターンの日程を教えてくれたのだが、そんな企業のインターンなど行く価値もないと思ったので聞かなかった。

 今回は規模の小さい説明会なうえ、参加した企業も静岡県を中心に活動しているものなので、まぁこんなもんなんだろうなと思った。とりあえず合同企業説明会がどういった雰囲気なのかを味わえただけでも得るものはあったと思う。

 そんなこんなでその日の説明会は幕を閉じた。その後も県内各地で今回と同じような説明会がちょくちょく行われていたのだが、もう何も得るものはないだろうと思ったので、参加はしなかった。インターンについても時間の無駄と判断し、エントリーすることは無かった。

 

 そこから1ヶ月近く経っただろうか。あの日の説明会以降特に目立った活動はせず、気が付けば夏休みを迎えていた。夏休みが始まって2日3日が経った頃、俺にとっては2度目となるzoomの就職ガイダンスが行われた。その日のガイダンスはT海大生のインターン参加者が多い企業をいくつか紹介してくれた。やはりというか水産系の企業が大半を占めていた。この時の俺はインターンにまだ一度も参加しておらず、少し焦りがあったため、水産系だったら一つや二つ参加してみるのもアリかな…という気持ちがあった。

 というワケで俺はその中から日本の水産業界大手ともいえるN社と、沼津市を拠点に活動するS社のインターンにエントリーした。参加者が抽選制だったN社については残念ながら落選してしまったが、S社の方は8月末に現地へ行くことが決まった。詳しくは次回説明するが、俺にとって沼津は色々お世話になってる場所であるため、この時の俺は少しワクワクしていた。

続く

はろペン自伝 第4部 その1

プロローグ

 時は2023年。人類は数年前に発生したパンデミックの脅威から解放されつつありながらも、止まらない値上げや円安、超高齢化社会など様々な困難と戦い続ける日々を送っている。そしてここに一人、”就職活動”という大きな戦いを今まさに迎えようとしている若者の姿があった。その人物の名は「はろペン」という。

 

第1章 就職活動の始まり

 2022年4月。俺、はろペンは大学3年生になった。これまでの2年間はちょいちょいサークル活動をしながらも、ひたすら単位を取り続ける日々を過ごしていた。コロナ過で色々制限されていた…というのも理由の一つだが、その間特に大きな出会いや人生の転換期などは無かった。

 3年生の最初に行われたガイダンスで「今年から就職活動に向けて企業研究や自己分析など少しずつ進めていきましょう」と先生は言っていたが、自分はそんなこと気にも留めなかった。なぜなら俺は既に「水族館の飼育員になる」という大きな夢を持っていたからだ。そして具体的にどういう道を進めば飼育員になれるのかを過去の先輩たちが残した報告書からある程度把握していた。

 とはいえ水族館業界は狭き門。なりたいと思うだけでなれるほど甘くは無いし、夢半ば諦めた人たちだって何人もいる。自分もなれなかった時のためにいくつか保険は用意しておくべきだなと思った。

 そこから数日後、zoomで記念すべき第1回「就職ガイダンス」が行われた。わざわざ説明するまでもないが、このガイダンスはこれから就職活動を迎えようとしているT海大学生に対し、どうやって動き出せばいいかを分かりやすく、丁寧に説明してくれるガイダンスだ。悪名高きマイ〇ビとリ〇ナビが主に仕切ってくれる。

 その日のガイダンスは就活サイトの使い方、今後のガイダンスの日程といった軽い解説から入り、中盤からは6月あたりから解禁される企業のインターンシップの説明が始まった。

 インターンシップとはいわば職場体験であり、それを経験することで会社の雰囲気を学べたり、社員の方と仲良くなることができる。特に後者はとても重要で、顔を覚えてもらうことができれば面接試験の際、大きなアドバンテージになるのだ。下手すればインターンに行った、というだけで即内定という会社もあるとかないとか。

 インターンが価値のあるもの…とは一応分かったが、先述した通り飼育員を希望している俺にはあまり響かなかった。

 ガイダンスの終盤、東静岡駅の近くにあるグランシップで静岡県内の企業が集まる合同説明会が近々開催されるということを聞いたので、とりあえず何かしら行動だけはしておくか…という軽い気持ちで俺はその説明会に参加することにした。

続く

ライブに行った話

9月17日、俺はこの日虹ヶ咲の5thライブを見るために東京へ行った。虹ヶ咲というのはかの有名なラブライブシリーズの一つである。細かく説明するとキリが無いので省くが、簡単に言えばシリーズの中でも外伝的な位置にある作品だ。ここ数年見たアニメの中でもトップレベルに面白かったので気になっている人がいたら是非見てほしい。(1期は見なくていいよ)

俺は現在このブルーレイを毎月購入しており、その中にこのライブの抽選券が入っていたため兄貴の名前と一緒に応募した。倍率がとてつもなく高かったらしいので半ば諦め状態ではあったが、幸運にも当選してしまったのである。

俺が当選した日は全4公演ある内の3日目。1日目と2日目は有明で、3日目と4日目は武蔵野で行われる。前半の有明会場はアニメ最終話の舞台となった場所なので、欲を言えばそっちの方が良かったのだがこのライブの存在を知ったのが前半の抽選が既に終わった後だったので文句は言えない。

当日、早朝のバイトを終えた俺はすぐさま新幹線で東京へ向かった。会場である「武蔵野の森 総合スポーツプラザ」がどんな場所なのか想像がつかなかったが、ギリギリ東京都なのでそれなりに都会なんだろうなぁと期待してたし、開場までどこ行こうかなぁなど考えていた。

事前物販は既に指定した時間に商品を受け取る手配が済んでおり、買い忘れた商品については東京在住の兄貴が朝から並んでくれたお陰で手に入った。予約時間までは兄貴との待ち合わせ場所である調布駅に降りてブックオフ遊戯王のカードを見たり日高屋で飯を食うなどして時間を潰した。

そして会場の最寄り駅である「飛田給駅」に降りた時、俺は衝撃を受けた。クソ田舎だったからだ。駅構内にアトレなんて当然無いし、飲食店すら無い。形としては藤枝駅に近いだろうか。いやむしろキオスクがあるだけ藤枝駅の方がマシでは無いだろうか。駅を降りると100円ローソン、マック、日高屋がある。日高屋があることでなんとか東京都の威厳は保たれているものの、それが無かったら藤枝駅以下だ。

会場には既に何人ものオタクがスタンバイしていた。グッズを買う者、ぬいぐるみの写真を撮る者、ガチャで出た缶バッジのトレードをしている者…こういう雰囲気は正直苦手である。

先ほど有明の方が良かったと言ったが、何も武蔵野会場の全てが残念だったワケでは無い。というのもこの日の公演から近日予約が解禁される「桜坂しずく」のスケールフィギュアの彩色見本が初めて展示されるのだ。会場ではこれ見たさに長い行列が出来ていた…皆ケツばかり眺めていた。

開演までまだ全然時間はあったが、見る場所など何もなかったので俺は兄貴と一緒にオタク観察をしていた。兄貴は兄貴でガチャで出た缶バッジのトレードもしていた。兄貴のコミュ力は凄いと思う。

俺は現地ライブに訪れるのはこれが2回目だ。ちなみに前回はプリパラのライブだった。ラブライブのオタクといえば男しかいないイメージだったのだが、意外や意外、女性ファンも結構いたのである。男性の方も所謂"チー牛顔"でなくバッチバチに決めてきた、いかにも陽キャな二ィちゃん達がざらにいた。…正直そういう人達がオタクを名乗るのはやめてほしいと思ってる。だらしない恰好こそオタクの正装であるはずだからだ。

そして17時、開場。アクセスが集中してしまったためチケットを見せるのにやや時間がかかったが、なんとか座席に座ることが出来た。場所はステージから見て右側の4階席。近くも無く遠くも無くといった場所ではあったが、音響設備が邪魔でステージ上にあるモニターの画面左半分が見えなかった。しかしトイレが近くにあったのと俺の席の左隣が通路になっていたためオタク・サンドイッチにならなかったのが良かった。

公演は言わずもがな、素晴らしいものであった。アニメ2期のストーリーに合わせた演出と楽曲、さらに1期の楽曲と2日目の公演で話題になった繚乱、スクスタにて最近公開された新曲…あっという間の3時間だった。

ライブの合間に声優陣の自己紹介やライブの感想など語り合うパートがあるのだが、時々ウケを狙ったであろう演出がある。俺の場合は心の中で「ハハハ…」となるだけなのだが、そういう場面で笑いを抑えきれず声に出してしまうオタクがぽつぽついる。その人を馬鹿にするつもりは無いのだが、そういう生き方が出来る人間は正直羨ましい。さぞ幸せなオタク・ライフを送っていることだろう。

コロナ過ということもあってライブ中のコールは禁止されている。基本的にペンライトをフリフリしているだけだ。殆どの曲はリズムに合わせて振れば様になるのだが、一部の曲には特徴的な振り方みたいなものがあるので初見には厳しい場面がある。ただ中にはペンライトを持たず、手拍子で盛り上げる連中もいたのでうるさかった。前の席にいたおっちゃんがそれに耐えきれなかったのか注意してたのが印象に残った。

これは俺の中にずっとある疑問なのだが、俺たち”観る側”は壇上で踊っている声優を見て「可愛い」や「頑張れ」など色々な思いを持つだろう。まずマイナスな感想は抱かないはずだ。しかし声優側からすればどうだろうか?客席にいるオタクを見て「あいつキモw」とか「チー牛しかいなくて草」とか思っているのだろうか?現実にいる声優を見るとそういう邪な疑問がどうしても俺の中に浮かんでしまうため、ライブ中もふと我に返ることが多々あった。

21時に公演は終わり、オタクの一斉帰宅ラッシュが始まった。乗り換えに詳しい兄貴の指導のもと、オタク・満員電車に乗る事は避けられたのだが、やや遠回りな帰宅だったため、兄貴の家に着いた頃には時計は23時を過ぎていた。夕飯は豪勢にしてこいと家族に言われたものの、そんな時間ではもう飲み屋しかやっていないので結局その日の夕飯は近所にあるサミットの半額弁当で済ませた。ただ、ライブの感想など二人で語り合いながら細々食べる半額弁当は値段以上のおいしさがあった。

 

ここまで読んでくれた人なら分かるだろうが、俺は人の視線を凄く気にするタイプの人間だ。正直ライブなどの大きなイベントには向いていない存在だろうと自分でも思う。ただそんな自分にもオタクとしてのプライドというか誇りみたいなものはある。特にアイドルアニメとなれば現地に行って応援してこそ真のファンだろうみたいなイメージがあるので、そこに恐怖感や孤独感があろうともやっぱり行きたくなるものなのだ。

おしまい

はろペン 武勇激闘録 その4

大瀬崎。それは沼津市の西浦にある岬であり、ダイバーであれば知らない人はいない名所中の名所である。また、「ラブライブ!サンシャイン!!」における聖地の1つとしても一部ファンから知られている(アニメ本編に出たワケでは無いが、雑誌等の背景に使用されたことがある)。…まぁ、俺はこっちの印象の方が強い。

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大瀬崎には観光で何回か訪れたこともあり、個人的にとても美しい場所だと思っている。だが”この日”だけはそのような感情は一切といっていいほど湧かなかった。そう、”この日”とは俺が初めて海でダイビングをする日、即ちOWD(オープン・ウォーター・ダイビング)のライセンスを獲得する日である。

集合時間は非常に早かった。朝6時、清水駅前にオーナーさんが車を出してくれるということなので、朝4時くらいに起床する必要があったのだ。オーナーさんとは、俺たちにダイビングのことを指導してくれる、いわば顧問のような存在だ。電車はまだ動いていなかったので、親に送迎してもらった。一緒に潜るメンバーは俺と友人のT田、そして1年2人の計4人だ。付き添いに先輩が1人来てくれた。

2時間くらいかけて現地に到着。その後機材の準備や動作チェックなどをして、いざ出陣というかたちになった。今回はライセンス取得のための講習なので、ゆったり楽しくダイビングというワケにはいかない。事前に何をするかの説明をオーナーさんがしてくれたのだが、この時の俺は頭が真っ白だったため、何一つ内容は入ってこなかった。重たい酸素ボンベと、通気性もクソも無いウェットスーツのせいで汗だくだくの俺はついに海の中へ突入した。

大瀬崎は砂浜のため、いきなり深い場所へは到達しない。夏なのに冷たい海をずんずん進んでいき、海面が自分の首元付近まで近づいた頃、水中に「クサフグ」が見えた。コイツが俺のダイビング人生で初めて見た魚だ。ダイバーからしても、釣り人からしても全然珍しくない魚ではあるが、海と縁のない場所で育った俺にとってはそのクサフグが輝いて見えた。

その瞬間、今まであった緊張感は無くなり、プール講習で行った練習を1つ1つ思い出したのちになんとか海中に潜水することが出来た。

水族館の大型水槽のように一度にたくさんの魚が見えることは無かったが、自分の目の前を魚が通過する景色はダイビングをしないと得られない経験であろう。驚きと興奮でいっぱいだった俺は課題もちゃくちゃくこなしていった。

言い忘れていたが、OWDのライセンスは2日間、計4回潜ることで獲得できる。この2日間、イセエビやクエ、俺の大好きなカクレクマノミの他、ツバメウオというレアな魚にも会うことが出来た。特に他を寄せ付けず海面付近をゆったり泳ぐツバメウオには本当に感動した。そのフォルムもとにかく凄いので、知らない人は是非調べてほしい。しつこいようだが”マジで”感動したので。

大瀬崎にはたくさんの人工物が海に沈められている。これは別にゴミのポイ捨てとかでは無く、魚に住処を提供するため、あえて沈めているらしいのだ。朝や夜にはそこに珍しい魚も稀にやってくるため、オーナーさんはしょっちゅう訪れているらしい。

…多少の失敗はあったものの、一通りの課題は終わり見事俺たちはOWDのライセンスを獲得することが出来た。あっという間の2日間だった。

 

恐らく、いや確実に俺がK洋学部に進学していなかったらダイビングと出会うことは無かったと思う。ダイビングは就職してからでも出来ないことは無いが、きっと今ほどの興奮やワクワクは感じられ無かっただろう。本当にTORITONに入って良かったと心の底から実感した。後押ししてくれた友人たちには感謝している。

ダイビングの”楽しさ”を知った俺はこの後OWDの1つ上のランクAOW「アドバンスド・オープン・ウォーター」のライセンスも獲得するのだが、それはまた別のお話…

 

はろペン 武勇激闘録 その3

Re:ゼロから始めるダイビング

大学生活1年目を終えた俺。コロナの影響で大学に通うことは殆ど無かったため、これといった感想も思い出も身に付いた技術も無いまま俺は2年生になってしまった。

果たしてこれでよかったのだろうか?もしかしたら何かやれたことがあったのでは?こういった歯痒さが俺の中から抜けることは無かった。

…努力して入学したT海大学だ。やはり何も経験しないで卒業するのは俺の性に合わない。この時俺はある一大決心をすることになった。

それは「サークル」に入ることだった。1年次は感染防止という観点から各サークルは表立った活動をしていなかったため、恐らくサークルの存在そのものを知らなかった学生も多かっただろう。俺もその一人なのだから。

サークルはバスケ、テニス、バレーなど一般的なものから釣り、サーフィン等K洋学部ならではのものもある。その中で俺が選んだのはダイビングサークル「TORITON」だ。K洋学部のダイビングサークルは2つあり、お互いがお互いのことを敵対視しているようだが、まぁその辺は触れないでおく。

友人らの後押しもあって、俺は早速5月に開催されたサークル説明会(Zoom)に参加した。

先輩方の話を聞き、俺はますますダイビングをしてみたいという意思が強くなった。しかしダイビングというものはとにかくお金がかかる。俺と兄貴の学費でジリ貧生活を過ごしている家族にこのことを話すのは少し抵抗があった。

1年間こつこつアルバイトをしてきたこともあり、諸々の費用は俺の口座で賄えることが判明した。俺は両親に「全て俺のバイト代から出す」ということを強調したのち、サークルに加入することを伝えた。両親は特に何かを言及することは無く、「あんたがやりたいなら別にいいよ」と言ってくれた。こうして俺はTORITONのメンバーとなったのだ。

加入したからとはいっても、いきなり海へレッツゴーというワケにはいかない。まずはテキストで機材などの知識を学んだあと、プールで呼吸の仕方や泳ぎ方を学ぶという手順を踏まえる必要がある。このプール演習で初めて本格的にウェットスーツを着て、機材を背負って潜るのだがこれがまた大変だった。酸素ボンベはクッソ重いし、足ヒレはとにかく歩きづらい。そして水中で息をするというこれまでに経験した事のない出来事に俺はただただ困惑するばかりであった。底の浅いプールだったからまだ良かったものの、これが海だったら確実に死んでいただろう。果たして俺にやれるのだろうか…半ば勢いで入ったダイビングサークル。俺は少し心配であった。

しれっと触れたウェットスーツだが、こいつもまぁ金がかかるのだ。一応レンタルで借りることも出来るため、人によっては機材においては何も費用を出さず、参加費だけで済ますこともできる。俺も慣れるまではそうしたかったのだが、レンタルできるウェットスーツに俺のサイズに見合ったものが無かったため、買わざるを得ない状況となってしまった。それどころか、購入できるウェットスーツの中でさえも俺に合う規格が無かったため、完全オーダーメイドのものを購入することになってしまったのだ。当然費用は通常以上にかかる。確か6万は越えたかな…こんなにお金を出したのは人生初である。

ということでプール講習を終えた俺たちが次に向かうのは大瀬崎。ついに実際の海に潜って講習だ。期待1割不安9割の俺は恐れおののきながらその日を迎えるのであった…

続く

はろペン 武勇激闘録 その2

高校を卒業して1年が経った。この1年はあっという間なような、長かったような複雑な感じだ。同級生や後輩は皆元気にしているだろうか?Twitterやインスタを見た感じ各自それなりに楽しくやっている感じはする。

さて、ここで俺の1年間を振り返ってみよう。

俺は去年、高校を卒業し「T海大学 K洋学部」に入学した。工業に専念していた高校時代とは打って変わり、海洋学の道を進み始めたのだ。こーいう話をすると決まって友人は「お前工業はいいのかよ?」とか「海洋学って(笑)」とか言ってくる。なぜ俺が海洋学の道を選んだのか?その答えはただ一つ、「なんとなく面白そうだった」からだ。詳しくは以前ブログに纏めた「はろペン自伝」シリーズをご覧ください。

で、晴れて大学1年生となった2020年4月、衝撃のニュースが俺のもとに届いた。

なんとその年の入学式は中止となり、授業は5月からスタートするとのことだ。まぁ緊急事態宣言が発令されるようじゃしょうがないよね。俺は不安と一抹の嬉しさを抱えながらおうち時間を過ごすのだった。ふと疑問に思ったのだが、「講義」と「授業」、「教授」と「先生」の違いってなんだろうか。使い方を間違っていたら嫌なので両方とも後者の言葉を使うことにする。

そして5月、授業は始まった。といっても授業はその全てが遠隔なのであまり何かを学んでいるという実感は無かった。基本的な座学は遠隔でも特に問題は無いのだが、一番困ったのは実験の授業だ。本来なら専用の道具を使ったりして皆でワイワイ話しながらやるのだろうが、家にいるようじゃそうはいかない。先生方もこれは異例の事態だったようで、困惑しながら出した結論は「とりあえず教科書のイラストをスケッチして、描いたやつを写真に収めて送ってこい」というものだった。実験っつーか美術の授業をやっている感じだった。当然面白くは無い。

K洋学部は理系の大学で、ハイスペックな実習や企画がウリだったのだが(学費がやばいぞ)コロナ過でそれら全てがおじゃんとなった。そんで学費は”全額”持っていくんだから親の大学に対するヘイトは高まるばかりだ。

個人的に一番イラついた授業は「体育」だ。正式な科目名はクソ長かったので忘れた。まぁ高校時代の体育と思ってくれて構わない。

本来なら海洋学の大学らしく、サーフィンとかダイビングとかのマリンスポーツをやったのだが、大学にすらいけないんだからそんな授業なと当然やれるはずもなく、約60分、先生がただただそのスポーツを堪能しているだけの動画を見せられた。それだけで単位が貰えるのなら素晴らしいのだが、厄介なのは残りの時間、その動画を見て分かったことを感想として纏めろというものだった。そんなもんあるワケないだろ。

そんなくだらない授業を半年近くやり続け、季節は秋となった。後期からは実験と体育に限り、大学内で行われることとなった。遠隔授業がヒジョーにつまらなかったのでこの判断は嬉しいといえば嬉しいのだが、たかだか2時間ちょいの授業のために片道2時間の道のりを通っていくのは少し面倒だった。

最初に学内で行った授業は「生物学実験」だ。あのクソスケッチ授業だ。実験室内は見ず知らずの同級生ばかり。ちょいコミュ障の自覚があった俺は緊張と不安で胸がいっぱいだったが、それは皆同じだったようで(皆がコミュ障ということじゃないよ)一度打ち解けると色々話す仲にはなった。不安だったのは俺だけじゃなかったんだね。

いくつか予定されていた企画は全て中止になってしまったのだが、11月に唯一開催されたイベントがあった。

それこそ「乗船実習」だ。本来なら夏休みに1泊2日で開催されるイベントだったが出来なくなり、やらないのもそれはそれで...という趣旨のもと開かれたイベント...というか実習だ。肝心の内容はどんなものかというと、大学が管理している大型船に乗って半日、近くの海をクルージングするというものだ。急遽開催された実習なので内容という内容もなく、ただ数時間ポケ―っと遠くの海を眺めていた。一応同級生との交流会も兼ねていたのでいろんな人と話をした。女子も結構積極的に来てくれたので俺は「脈アリか!?」と不意に思ったのだが全員彼氏持ちとのことだった。ヴォエ!

後は特にどうってことない日々を送り、気が付けば年が明けていた。大学の授業というものは大概1月後半に完結してしまうのでそこから2ヶ月ちょいは全て春休みとなる。

コロナさえなければ友人たちと飲み会を開いたり、サークル仲間とどこかへ遊びに行ったんだろうか。外出自粛ムードが漂っていたこの1年、俺は飲み会に参加してないどころかお酒も一切飲んでいない。一応19歳なので飲まない方が正しいのだろうけど、社会に出た同級生らは皆飲んでいるっぽい。ちなみにサークルにも入っていないぞ。

先述した通り、大学に入って友人は何人か出来たのだが、まだ遊びに行くような関係までは出来上がっていないので春休み期間は殆ど連絡を取っていない。高校の同級生らもなんやかんやで忙しそうだし、まとまって遊びに行くことが出来るような世間体ではないのでこれまた殆ど連絡を取っていない。

結局俺はほぼ毎日、100円玉を財布に詰めながら近所のゲームコーナーへ向かうしか選択肢が無かったのだ。